14歳の時に父が出奔して片親となり高校からは育英会の奨学金をもらってはどうかということになった。育英会出願担当の女中学教師は妙に同情的な顔をこちらに向けて来、ほんとうに不快だったので殴りたくなったのを覚えている。 今から思えばこれが全ての発端だったと思う。この時一発お見舞いしていれば違う人生だっただろう。 そうはならず、以来高校3年学部4年修士2年の9年間に亘って無利子の奨学金を受給した。修士修了時に免除審査(支援機構奨学金を免除する優秀者を専攻が推薦する)があったが、私は選外となり、免除されなかった。結局、残ったのは研究者となって異邦にいる30歳のデクノボーだった。 最近私はのっぺりとした地平線の雲の遠近法を眺めながらなぜ自分が研究者になろうなどとそもそも考えたのかを自問することがあった。しかし、どうしても思い出せなかった。 奨学金のことを考えていると、それがわかった。 最初に、つまり、