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2011年6月10日のブックマーク (8件)

  • 日本新聞博物館に石巻日日新聞社の手書き壁新聞-報道写真展で

    同展では、被災地や全国の新聞社などの報道機関が撮影した、東日大震災の現場の様子を伝える写真のほか、手書きで製作された「石巻日日(ひび)新聞」(社・宮城県石巻市)の壁新聞などが展示されている。 東日大震災の地震と津波での死者は1万5千人を越え、行方不明者もいまだに8千人以上となっている。同展では、地震や津波発生時の様子や被害の状況など、新聞社のカメラマンたちが危険を顧みず撮影した写真のほか、避難所で生きる人々、福島第1原発の事故の状況とその影響、復興への希望などをとらえた作品90点を展示している。 石巻日日新聞は、1912年に創刊された地域夕刊紙。展示されている手書きの壁新聞は、同社の印刷設備が津波の浸水と停電で使えなくなり、記者たちが、新聞印刷用のロール紙を切り取り、マジックで手書きで書いたもの。震災の翌日3月12日から17日までの6日間、毎日6部を手書きで制作し、石巻市内の被災者の

    日本新聞博物館に石巻日日新聞社の手書き壁新聞-報道写真展で
    Guro
    Guro 2011/06/10
    ”6月22日まで延長となった。” 近くな方は見られたほうがよいかと。
  • 東日本大震災:「ママ、どうしていないの?」 4歳、3歳の3カ月--岩手・陸前高田 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇空見上げ探す星 「ママは星になったんだよ。波になって会いたいな」。4月上旬、岩手県陸前高田市の保育園児、及川律(りつ)ちゃん(4)は記者にそう教えてくれた。市立図書館の職員だった母久美子さん(当時32歳)が津波にのまれ死亡してから3カ月。祖父母宅で暮らす律ちゃんと弟の詠(えい)ちゃん(3)は今も夜空を見上げ、一番きれいな星を探していた。【長野宏美】 律ちゃんと詠ちゃんの保育園は、園舎が全壊したが、別の場所に間借りして4月中旬に再開した。2人は祖母まみ子さん(61)が運転する車で元気に通う。車でがれきの前を通ると急に興奮気味になるが、新しい環境にも慣れ、仮面ライダーやウルトラマンの「戦いごっこ」をして遊ぶ。律ちゃんは大震災を「地震と津波が勝負したんだ」と説明するという。 市職員の父克政さん(34)は「津波の1週間後、心の衝撃をやわらげようと思って『ママはお星さまになった』と伝えました」と話

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    Guro 2011/06/10
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    Guro 2011/06/10
    美術館の展示を町歩きにつなげてしまうと広がりが出る。
  • 東日本大震災復興支援地図 青森・岩手・宮城・福島・茨城・千葉太平洋沿岸地域

    東日本大震災復興支援地図 青森・岩手・宮城・福島・茨城・千葉太平洋沿岸地域
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    Guro 2011/06/10
  • 河北新報 東北のニュース/被災地情報を掲載 復興支援地図発売 昭文社

    被災地情報を掲載 復興支援地図発売 昭文社 地図の製作を手掛ける出版社「昭文社」(東京)は、東日大震災の復興支援として、被災地域の地図帳「東日大震災 復興支援地図」を発行した。全国の書店で販売している。  同地図は、津波被害が大きかった太平洋沿岸地域を網羅。津波の浸水地域や通行規制の情報、各自治体の災害対策部など被災地の情報を盛り込んだ。  昭文社は5月、復興支援に携わる機関に向け、同様の地図3万部を無償提供した。一般からも活用したいとの要望が多かったため、一般販売し、復興支援に役立ててもらことにした。  B4判、144ページのオールカラー。価格は1000円と割安に設定。売り上げの一部は、義援金として日赤十字社を通して寄付される。

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    Guro 2011/06/10
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  • 震災で浮き彫りになった、日本人が求めた「豊かな暮らし」の脆さ

    1960年北海道札幌市生まれ。東京医科大学卒業。豊富な臨床経験を生かし、現代人の心の問題のほか、政治・社会評論、サブカルチャー批評など幅広いジャンルで活躍する。著書に『しがみつかない生き方』『親子という病』など多数。 香山リカの「こころの復興」で大切なこと 震災によって多くの人が衝撃的な体験をし、その傷はいまだ癒されていない。いまなお不安感に苛まれている人。余震や原発事故処理の経過などに神経を尖らせている人。無気力感が続いている人。また、普段以上に張り切っている人。その反応はまちまちだが、現実をはるかに超えた経験をしたことで、多く人が異常事態への反応を示しているのではないだろうか。この連載では、精神科医の香山リカさんが、「こころの異変」にどのように対応し「こころの復興」の上で大切なことは何かについて語る。 バックナンバー一覧 被災地では選択肢が奪われている こだわりを主張すると「贅沢だ」の

    Guro
    Guro 2011/06/10
    こっちも香山さんの記事。
  • 上野へ行こうよ: あれれこれれ

    Guro
    Guro 2011/06/10
    上野観光連盟のパンダイラストはb-g作
  • 「レッドライト」 (連載第3回) | ヨコハマNOW | よこはまなう | 横浜なう | 横浜流行通信

    写真)鉄の道(鎌倉トレイル) 途中、切り通しがいくつかある 港南区、特に区役所の近くには厚い砂鉄の層があり、かつて頻繁に落雷があったという。すぐそばを流れる日野川は沈殿した砂鉄のせいで、川底が赤くみえたそうだ。この砂鉄を集め、釜で溶かし、炭や藁を使って鉄をつくる集団、すなわちタタラをつかう製鉄職人たちが住んでいたというのも、自然な話である。 伝説によれば、港南区日野に製鉄技術を伝えたのは、東征中のヤマトタケルだったとのこと。この周囲一帯にはたくさんの横穴墓があり、人骨やさびた刀剣が掘り出されていることから、いにしえより鉄作りが行われたことが伺える。 頼朝が鎌倉幕府を開き武家政治が始まると、鎌倉は各地からの武士やその一族らで溢れた。たちまち武具や農具の需要が上昇。砂鉄と大量の炭を確保するための山林、そして良質の湧水が容易に手に入る日野や栄区一帯は、幕府を支える重要な兵站(へいたん)基地となっ