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ブックマーク / yokohama-now.jp (8)

  • 田中健介の麺食力-それから- 第4回 「市電と暗渠と本牧と」 | ヨコハマNOW | よこはまなう | 横浜なう | 横浜流行通信

    第4回 市電と暗渠と牧と 2010年に出版した自著「麺力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらもほとんど売れなかった可哀想な。著者自身も出来上がったをほとんど読まずにいましたが、東京オリンピックを迎える2020年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第四回目。あ、新年明けましておめでとうございます。 中区・牧通り。東洋一のサウンドマシーン・クレイジーケンバンドの「路面電車」という曲のモデルにもなっているこのストリートは、文字通り1970年頃まで横浜市電の主要路線のひとつでありました。廃線から半世紀近く経た現在でも、市電の名残は市内各所に見られますが、牧通り商店街のような歩道アーケードのスタイルはその名残のひとつと言っても良いのではないのでしょうか。 かつて横浜市電が走っていた

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    Guro 2019/01/11
  • 田中健介の麺食力-それから- 第1回 「それから」 | ヨコハマNOW | よこはまなう | 横浜なう | 横浜流行通信

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    Guro 2018/11/20
  • 「レッドライト」 (連載第7回) 島唄と横浜 | ヨコハマNOW | よこはまなう | 横浜なう | 横浜流行通信

    思わぬ場所で「横浜」という言葉に出くわすことがある。 山形県の内陸部に位置する「O(オー)」という町での数年前の出来事だ。 幾分寂れかけたその町は、蕎麦による町おこしと「『奥の細道』の旅で松尾芭蕉が立ち寄った」という事以外、目立った特徴がない。駅から数キロ離れた場所に拡がる中心街。ここをぶらぶら歩いていると、手作り感といなたさと、精一杯の背伸び感がにじみ出た、何とも味のあるカジュアルウェアの店が目にとまった。B系(ヒップホップ系)ストリートファッションの店らしい。やけに小さなその店には、さりげなく「フロム・ヨコハマ」というサインが掲げられていた。 人恋しさを覚えるほど閑散とした商店街に突如現れた「ヨコハマ」。 「妙に場違いな」。 興味を覚えた私は店内に入ってみた。店主と思しき中年の女性とひとしきり話したあと、「じつは横浜から来たんです。横浜ご出身でいらっしゃいますか」と訊いたところ、「ええ

    Guro
    Guro 2013/03/29
    日曜日のイースター礼拝で、♪百合の花〜と歌うので。こんな記事を。
  • 「レッドライト」(連載第12回) ホテルニューグランド | ヨコハマNOW | よこはまなう | 横浜なう | 横浜流行通信

    「軽井沢ニューグランドロッジ」のレストラン(「ホテルニューグランド」営業企画課提供) 明治・大正・昭和初期の日において、西洋式のホテルはひじょうに敷居の高い宿泊施設だった。旅先の宿は民宿か和風旅館が当たり前。そもそもホテルの絶対数そのものが少なかった。ホテルの大衆化が進むのはずっと先のことで、当時の顧客は西欧人か日人のエリート層に限られていた。 ホテル業界の黎明期というべき時代。しかし意外なことに、昭和初期は日のホテル業界最初の黄金時代だった。なぜか。それは日が帝国主義国家だったからだ。 日中国大陸進出が非難されていたきな臭い国際情勢のなか、政府は日のイメージ向上を図るため、外国人客の誘致に努めた。その一環として西欧式ホテルの建設が進められたのである。 横浜が誇るクラッシックホテルといえば、ニューグランド である。開業は昭和2年。開業当初は外国人専用で、支配人もアルフォンソ・

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    Guro 2012/03/16
    貴重なことに各地にあったニューグランドの概観。
  • 「レッドライト」 (連載第9回) 窒息する水面、混沌の思い出 | ヨコハマNOW | よこはまなう | 横浜なう | 横浜流行通信

    APEC開催に伴って撤去された船の休憩所「北斗星」。この手の船は「ドヤ船」とよばれ、終戦後の大岡川を中心に最盛期には一三隻浮かんでいた。しかし昭和28年8月、陸上宿泊施設がふえるに従って廃止され、引揚げられた。 いまさら言うまでもないが、東京の中心は皇居である。私は右翼ではない。これは街の構造から明らかなことである。 一方、横浜はどうか。横浜港が中心なのは、やはり論を待たないと思う。実際の所、象徴的にも地図の上でも中心を皇居に据えた東京とは異なり、横浜の地理上の中心は港ではなく、保土ヶ谷である。しかしここでは細かいことは言わない。 さる知識人が皇居を「空虚」と呼んだように、見渡す限り水ばかり拡がる横浜港もまた広大な無である。なにもないからこそ、さまざまな可能性を見いだし得るわけだが、実際はそうでもないらしい。 今年9月、赤レンガ倉庫の岸壁に接岸して行うはずだった「横浜ふね劇場をつくる会」主

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    Guro 2011/12/12
    壇原さんの記事はいつもディープだ。まだまだ書ききれないほど、横浜にはディープなところがあるんだろうな。水上学校は試験にでます。
  • 「レッドライト」 (連載第3回) | ヨコハマNOW | よこはまなう | 横浜なう | 横浜流行通信

    写真)鉄の道(鎌倉トレイル) 途中、切り通しがいくつかある 港南区、特に区役所の近くには厚い砂鉄の層があり、かつて頻繁に落雷があったという。すぐそばを流れる日野川は沈殿した砂鉄のせいで、川底が赤くみえたそうだ。この砂鉄を集め、釜で溶かし、炭や藁を使って鉄をつくる集団、すなわちタタラをつかう製鉄職人たちが住んでいたというのも、自然な話である。 伝説によれば、港南区日野に製鉄技術を伝えたのは、東征中のヤマトタケルだったとのこと。この周囲一帯にはたくさんの横穴墓があり、人骨やさびた刀剣が掘り出されていることから、いにしえより鉄作りが行われたことが伺える。 頼朝が鎌倉幕府を開き武家政治が始まると、鎌倉は各地からの武士やその一族らで溢れた。たちまち武具や農具の需要が上昇。砂鉄と大量の炭を確保するための山林、そして良質の湧水が容易に手に入る日野や栄区一帯は、幕府を支える重要な兵站(へいたん)基地となっ

  • 4月 三ツ池だより 「一人ではない・・」 | ヨコハマNOW | よこはまなう | 横浜なう | 横浜流行通信

    三寒四温が実感できる日々であり、時に驚かされもする。 3・11を忘れることが出来ない。その日は東京の会議に出ていた。まさかこんな大災害になっているとは想像すら出来なかった。品川にでて京急電鉄にのり鶴見につけば歩いてもなんとかなると踏んでいた。18時頃にはホテルのロビーの端に資料の紙を敷いて床に坐っていた。今日はここで仮眠になるかもしれないと覚悟した。21時30分頃だろうか、新幹線で小田原まで行くという会話を遠く耳にして、駅の改札へ急いだ。すでに200人ほどの列がいくつか出来ていた。新横浜から家の近くを通るバスの最終に飛び乗れて24時ごろに帰宅出来た。 バスは超満員で渋滞のなかを動いていた。運転手さんが皆さんに時々マイクで話しかけてくれた。「気分の悪くなった人はいつでも声をかけてください。どこでも止めますよ。」「大変な地震になっています。状況をお知らせするためにラジオをかけます。」身じろぎも

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    Guro 2011/04/10
  • ヨコハマNOW | よこはまなう | 横浜なう | 横浜流行通信

    【 ヨコハマこの人 】 横浜この人、最終号に寄せて。高野慈子さん 私が「この人」の取材を始めたのは2010年12月でした。記事は翌2011年の1月号に載りました。忘れもしない私の第一号はベトナム民族楽器「トルン」奏者の小栗久美子さんの記事で「竹琴に魅せられたかぐや姫」でした。「取材」することで、業種が違ったり生活する場が違い「会うことはない」と思われる方々との出会いがありました。その方々の人となりを知り「この方々の素晴らしい魅力を私の拙い文章でどうお伝えできるのか」と悩みました。推敲を重ね、添削された文章を繰り返し読み、満足できるものが書けた時は当に安堵環を覚えました。 【 横浜カルチャー » ONENESS LOVE 】 早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #29 銀河人類の誕生 シンガーでエコロジストの早苗ネネさんによるONENESS(ひとつらなりのイノチ)をテーマにしたエ

    Guro
    Guro 2011/01/11
    名前は軽いが中身が濃そう。あとで読む。
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