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2020年11月8日のブックマーク (3件)

  • インド工科大はカーストを乗り越えるパスポート 苛烈な競争、自殺相次ぐ:朝日新聞GLOBE+

    ■人口の1割が受験生 「わが校から統一入試6位を輩出!」「全インド女子1位!」――。人と牛が行き交う市街地に入ると、そんな看板が続々と現れる。子供たちの顔写真の下にずらりと並ぶ数字は、入学試験のランキング。成績優秀な塾生を輩出したことを宣伝する進学塾の広告なのだ。ここは、インド北西部の地方都市コタ。大小の予備校や進学塾が軒を連ね、「私塾産業の震源地」と呼ばれている。 「私塾産業の震源地」と呼ばれるコタの町に立ち並ぶ予備校の看板 とくに目立った産業もなく、半ば眠ったような田舎町が一変したのは1990年代。この町に開校した小さな私塾が、世界でも超難関と言われるインド工科大学(IIT)に合格者を輩出したことが評判を呼び、インド各地から受験生が殺到。他の塾も相次いで参入し、遠方からの生徒のために寮が続々と建てられた。いつしか、「教育」が町の主要産業の一つとなり、現在、コタの人口の1割に当たる約15

    インド工科大はカーストを乗り越えるパスポート 苛烈な競争、自殺相次ぐ:朝日新聞GLOBE+
    Humisawa
    Humisawa 2020/11/08
    イノベーションだ “天井の扇風機にひもをかけて首をつるケースが後を絶たないため、バネを取り付けて一定の重みがかかると、天井から外れやすくした機種が売り出された。”
  • 肉は薬だった!? 肉食がタブーとされた江戸時代にも、肉は意外と食べられていた! - 江戸ガイド|江戸ガイド

    「肉はタブー、禁止」というイメージがある江戸時代ですが、実は豊富な肉料理が存在しました。いまではあまりべない意外なお肉や、肉料理屋の面白い言い訳など、江戸の肉事情をまとめました。 肉タブーの時代、それでもべたい肉! 今では当たり前にべているお肉ですが、日では長く肉はタブー視されていました。もとをたどれば奈良時代、殺生を忌む仏教の影響で肉が禁じられるようになりました。 それからおよそ1,200年後の明治時代になると“文明開化”の象徴として牛鍋がブームになりました。 (『安愚楽鍋(あぐらなべ)』仮名垣魯文 著) 教科書でもおなじみ、牛鍋をべるハイカラな明治男子。1877年(明治10)の東京には牛鍋屋が488軒もあったといいますから、その大流行ぶりがうかがえます。 では、文明開化以前、江戸時代の人々は肉をまるでべなかったのでしょうか? (『名所江戸百景』「びくにはし雪中」歌

    肉は薬だった!? 肉食がタブーとされた江戸時代にも、肉は意外と食べられていた! - 江戸ガイド|江戸ガイド
    Humisawa
    Humisawa 2020/11/08
    “彦根藩から将軍家に毎年、ご養生用の薬「反本丸(へんぽんがん)」として献上されていたものがあります。それがこちら。牛肉の味噌漬けです。(…)これは牛肉ではなく、あくまで養生用の薬です。”
  • 用語集:薬食い:クスリグイ - 財団法人日本食肉消費総合センター

    Humisawa
    Humisawa 2020/11/08
    “肉食を忌む風習があった。そのため、鳥獣の肉は病人の養生や健康回復を目的として薬代わりに「薬食い」と称して食べられていた。”