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2012年6月24日のブックマーク (3件)

  • ぼくは結局、認められないだろう - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくには、いつだって「世間からは認められないだろう」という思いがある。それは今だってある。ドラッカーは「顧客からスタートしろ」と言った。それは分かる。芸術でも何でも、他者に認められて初めて価値がある。しかしながら、こと芸術に限っていえば、そこに一つだけ問題がある。というのは、すぐれた芸術――後世に残るような芸術というのは、えてして「同時代人には認められない」という現象があるのだ。 その例には枚挙にいとまがない。ソクラテス、ゴッホ、カフカ、宮沢賢治。中でも、最も象徴的な例として、セザンヌを挙げることができる。セザンヌは、絵画というものを突き詰めていく中で、やがて「絵の面白さとは写実性にではなく、ある種の心象風景のように、ちょっと歪んだものの中にこそ宿る」と考え、あえて遠近法に則らない描き方で絵を描いた。遠くのものを大きく描き、手前のものを小さく描いたのだ。すると、その評価は散々なものだった。

  • 「哲学的ゾンビはいない派」への転向 - すべての夢のたび。

    ソウルダスト――〈意識〉という魅惑の幻想 作者: ニコラス・ハンフリー,柴田裕之出版社/メーカー: 紀伊國屋書店発売日: 2012/04/27メディア: 単行購入: 5人 クリック: 195回この商品を含むブログ (9件) を見る 第1章 目が覚めるとはどういうことか たぶん、あなたが目を覚ましてから、まだ一日とたっていないはずだ。目が覚めたのは、今朝、日がまた昇ってまもなくのことだろう。あなたにとって、目が覚めるというのは、どのようなことだったか? 覚えているだろうか? 牛乳瓶がぶつかり合う音、シーツの感触、青い空……。あなたは目をこすり、伸びをする。すると、いつのまにか、感覚の波があなたの存在という湖を再び満たしている。あなたは主観的現在の中に再登場する。あなたは再び、自分が生きていると感じる。 これは、なにもあなただけのことではない。きょう、この地球上で無数の人間に同じようなことが

    「哲学的ゾンビはいない派」への転向 - すべての夢のたび。
  • 音楽業界はなぜ縮小したか? - ハックルベリーに会いに行く

    音楽業界はなぜ縮小したか? を文系的に考察する。 「生活必需品としての価値の下落」音楽業界が産業として最も大きくなったのは(最も売上が高かったのは)1990年代半ばから後半にかけてとのことで、その当時ぼくは20代の若者だった。その頃のぼくの気分というものを振り返ると、CDを買って聞いていないと、ちょっと人間関係的にヤバいなぁみたいな雰囲気があった。というのも、一つには「つき合いのカラオケ」というのがあった。ぼくは特段カラオケが好きというわけではなかったが、仕事のつき合いでも、あるいはプライベートの合コンなどでも、カラオケに行く機会はよくあった。だから、そこで歌うための歌を仕込んでおく必要があった。そしてそれは、できれば流行りの歌が良かった。最新ヒットチャートを賑わしている歌を歌えば、周囲の評価が高かったからだ。だから、カラオケで歌うためのヒット曲のCDをよく買った。その頃に買ったのは、猿岩

    KaeruHeika
    KaeruHeika 2012/06/24
    90年代の大衆は確かにそうだった。ハックルさんが…というツッコミはさておき、参考記事遍歴が興味深い。言及ブログを辿った場合、自身のアウトプットは最後に読んだものに近くなる、という法則か。