「結果平等社会」は、いかにも社民党や旧・社会党系の人、そして日教組など親方日の丸の労働団体が好む社会主義的発想だ。 象徴的なのは小学校の運動会にありがちな「徒競走を皆で手をつないで、皆が同時にゴールして一等賞」というヤツだ。競走になってない。ただのランニングだ。 「ゆとり教育」だって同じようなものだ。40人に同じ説明をしたって、40人から同時に同じ理解度を得るのは奇跡だ。普通は有り得ない。どうしても理解度に差が出る。どこをターゲットに授業をすべきか?一番レベルの低い所に合わせようとすれば時間が要る。だから、ゆとり教育だ。全体の教育レベルが下がるのは予定通りの結果だ。 一般的な労働者の発想であれば、結果平等社会の心地良さは当然だ。人間はジョギング程度の快い負荷で結果が見える作業をして、予定通りの達成感を味わいたいものだからだ。そして、「出来ることならラクして人並み以上にオイシイ生活をしたい。
![「機会平等」と「結果平等」の選択?はたまた折衷? | 心の闇 3](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/54eff32cbec67087a89d7c297b7df8ca5afe5c62/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimage.excite.co.jp%2Fjp%2FappleIcon%2Fapp%2Fblog%2Fapple-touch-icon.png)