明治期の 美術界にて 名を馳せた、 岡倉の 天心またの名 覚三は、 大学生の ある折に 妻といさかい 提出の 間近となりし 卒論を、 燃やされしとぞ 聞こえける。 その心 我が身のことと してみたく、 我がこい人に 燃やしてもらうー。 天心の 今も轟く 武勇伝 大学で 美術の歴史 学ぶ頃、天心の書 ひもとけば、 かくエピソード ふと見つけたり かくエピソード ふと見つけたり 天心の 頃にパソコン あるべくもなく、 原稿用紙に 手で書き込めり。 細切れの 下書きこそあれ 完全な バックアップは なしとぞ思ふ。 テーマ異なる 論文を 二週間にて 書き下ろす、かく離れ業 クラクラしけり。 あまりにも 胸騒ぎたる 武勇伝、「そらごとならん」と、思いきや 天心の 息子・一雄が 書きとめし 『父天心』(1939年、聖文閣)の 一節に、 「天心が ふた月かけて 書き上げし、卒論、名をば、「国家論」