2011年度の労働経済白書の発表を受けての議論。前半では、ポストロスジェネ世代では正社員化したあとこそが過大なのではないか、また若者の労働運動がどのような課題を抱えているかをNPO法人POSSEの今野晴貴が論じてます。 その流れから後半では、赤木智弘さんが、社会学者の久保田裕之さんとなぜ自分は若年男性労働者を「えこひいき」するのかを論じています。
ロストジェネレーションとは、「失われた世代」のことをいう。 バブル崩壊後の「失われた10年」に社会に出た、1972年から82年に生まれた世代のことだ。 07年に出版された『ロストジェネレーション─さまよう2000万人』では「彼ら、彼女らは、日本人がもっとも豊かな時代に生まれたと言ってもいいだろう。だが、高校や大学を卒業して社会に出たとき、戦後最長の経済停滞期にあたったのがこの世代の『不幸』だった」と記されている。 確かに子どもの頃は「未来は明るい」ことを漠然と信じていた。経済成長がこのまま続き、いい成績をとり、いい高校を出て、いい大学を出て、いい会社に就職という神話は唯一絶対といっていいほどの力を持っていた。そのために数の多い団塊ジュニア間の受験戦争は過酷を極めた。「努力をすればしただけ報われる」の言葉には信憑性があったからだ。しかし、それは景気が良かったからこそのものであり、ようやく社会
gooニュース×Voice連携企画 話題のテーマに賛否両論! 派遣切り・ロスジェネを見捨てるツケ(楠正憲・国際大学GLOCOM客員研究員) 問題は内定取り消しではない 経済危機を受けて、昨年後半から派遣切りや新卒者の内定取り消しが止まらない。 2008年10月から2009年3月の半年で、非正規雇用の雇い止めや中途解除で職を失う人々は8万5000人に上る。新卒学生の内定取り消しも769人に達する。 この年越し、日比谷公園で派遣の契約打ち切りなどで居場所を失った人々に食住を提供する「年越し派遣村」には予想を上回る500人以上が集まった。働き盛りの30代から40代が半分を超えたのは、バブル後の就職氷河期に就職に失敗した世代が派遣労働に流れ込み、経済危機で切り捨てられたからだ。若者を切り捨てる国に未来はない。 じつは経済危機以前から、2006年に偽装請負問題が発覚した際に、請負から派遣に切り替えら
世間では家電大手数社が数千億の赤字だとか、年越し派遣村が流行語大賞候補になりそうだとか、自動車工場が各地で稼働ストップだとか、ホンダがF1撤退だとか就職氷河期ふたたびだとか、いろいろ大変な話がとびかってますね。というか各種経営数字・業績指標やばいですね。 個人的に思うのですが、もしかすると、今後2、3年くらいの就活生は、ロスジェネ世代よりも厳しい就職活動を経験することになるかもしれません。 いままでロスジェネ世代って、私もそうだけど「俺たちはおまえらよりも何倍も苦労してきたんだよ」的なスタンスだったように思いますけれども。 あれ、あの便利な決まり文句、今後数年~10年くらいのあいだに、私たちではなくていまの大学生とか高校生とかが同じこと言い始めそうな気がするですよ。しかも彼らの一部は「ゆとり世代」でもあります。どんだけオトナの都合で振り回されてるんだって話です。 今後の経済状況いかんで、彼
前置き 以下のエントリは宇野常寛「ゼロ年代の想像力」に対するカウンターパート的なものであり、ひとつのサブカル偽史としてのゼロ想を補完しつつ現代の問題について考えるものといっておく。 本文 ロスジェネ世代の精神的風潮として、大きな物語の衰退と社会の分子化による主体の孤独化と無力化――「連帯を求めて孤立を恐れず」から「孤立を恐れて連帯を求めず」への変化があったといえるだろう。 それはいわゆる碇シンジ問題――「なにをしても傷つく/傷つけるなら、なにもしないほうがいい」というひきこもり的心性と「なにをしても、結局事物の本質性にはアクセスできず、自己のアイデンティティを保全することすら困難である」という経験不可能性の具現化である。 そこで思い起こされるのが宇野常寛の「碇シンジでは夜神月を止められない」――経験不可能性を受け入れたひきこもりは決断主義者にアプローチできない――という言葉である。だが、実
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