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批評に関するTZKのブックマーク (55)

  • ツイッター映画ライターが豊崎由美氏と栗原裕一郎氏のtiktok批判に思う『推す批評』と『斬る批評』、かつて小沢健二を批判したあるロキノン女性ライター、そして広瀬すずはなぜ李相日監督を信じるのかという話|CDBと七紙草子

    詳細は上のリンクを読んでいただくとだいたいわかると思います。有名書評家である豊崎由美氏が、アマチュアTikTokアカウントを貶し、「そんなものでが売れたからどうした」「この人に書評書けるんですか」と言った。この件について誰もが思うことでしょうが、あまりに筋が悪い。書評書けるも何も、相手は一介のアマチュアです。出版産業の屋台骨が揺らいでいる時に無料で若い世代に小説をすすめ、しかも実際に若い世代に影響を与えて売り上げが上がるという結果を出している貴重な存在です。言うまでもなく炎上しました。引用RT1000超えというのは、めちゃくちゃに批判されていることの表れです。アルファアカウント、ベストセラー作家も次々と豊崎氏批判の側で声をあげ、賛否両論というより事実上ワンサイドの炎上になりました。 そんな中で、個人的には評論家である栗原裕一郎氏のツイートが心にとまりました。 原稿のネタにしようと虎視眈々

    ツイッター映画ライターが豊崎由美氏と栗原裕一郎氏のtiktok批判に思う『推す批評』と『斬る批評』、かつて小沢健二を批判したあるロキノン女性ライター、そして広瀬すずはなぜ李相日監督を信じるのかという話|CDBと七紙草子
  • 第65回岸田國士戯曲賞に寄せて|柳美里

    柳美里さんから編集部に連絡があったのは6月下旬のこと。岸田國士戯曲賞の選評が掲載されず選考委員を辞することになった、ついては選評と経緯を説明する文章を発表できないかとの相談でした。原稿を拝見し、編集部で議論のすえ、掲載を決定しました。ゲンロンもスクールや新人賞を主催しています。他社である白水社さん主催の選考について、第三者であるゲンロンが批判を掲載することにはリスクがあります。非難もあるかもしれません。けれども、岸田國士戯曲賞は有名な賞で歴史も長く、柳さんも影響力のある作家であり、内容的にも必ずしも戯曲賞および白水社さんを一方的に批判するものではないことから、公表には公共性があると判断しました。掲載にあたっては、柳さんと相談し、個人名を割愛するなど最低限の編集を施しています。原稿の公表が、演劇界での議論の活性化につながることを期待します。(東浩紀+上田洋子) 岸田國士戯曲賞の選考委員を辞

    第65回岸田國士戯曲賞に寄せて|柳美里
  • ニッポンの音楽批評150年100冊

    ペリー来航から軍楽隊、クラシック、「リンゴの唄」、戦後ジャズ、各種音楽雑誌、ビートルズ来日、ニューミュージック、歌詞論、プレイリスト、サブスク、そして未来まで----。 音楽にまつわる150年分のブックガイドも掲載! 明治初年前後から令和初頭までのおよそ150年のあいだに、日において「音楽」がどのように記述され、語られてきたのか。音楽そのものではなく、音楽を巡る言述について確認し、ニッポンの音楽批評の歴史的変遷を楽しく辿ってみた。 1876年から2025年までを30年ずつに区切り、それぞれの時代の音楽を取り巻く言説の配置を語る「通史」と、その時代に出版された代表的な「音楽」を20冊選んで解説する「ブックガイド」によって構成される、圧巻の1冊! 巻末には音楽雑誌リストも掲載。 カバーイラスト:山祥子 【目次】 まえがき 第1章 1876年〜1905年  「音楽」は国家事業なり〜幕末と

    ニッポンの音楽批評150年100冊
  • ガチで批評を書くときに注意していること。 - 烏は歌う(はてなダイアリー跡地)

    音楽であったり、お店(○○ログとか)のレビューであったり、ゲームの評価であったり…まあなんでもいいんですが、基的に批評というものは 「分析・比較・感想」 の3点からなるものだと思って、読んだり書いたりしています。 「分析」がなく、ただ他のものと比較されたり感想を並べられたりしても、「それがどういうものなのか」がわからない。 「比較」がないと、それが具体的にどうすごかったりどうダメだったりするのかがわかりにくい。 「感想」がないとつまらない。 もちろん、配分はレビュー対象によって、記事のスタイルによって変える必要がある。 なんか頭よさそうな批評がしたければ「分析・比較」の方を、質も量も充実させなければいけない。 好きなものをただ「好きだ!」と叫びたければ、ただただ「おもったこと」を書き綴ればいいんだ。 ただ、「好き」をだれかと共有したければ、分析や比較ができると、より他人に「自分はなにが好

    ガチで批評を書くときに注意していること。 - 烏は歌う(はてなダイアリー跡地)
  • Gのレコンギスタ第15話「飛べ!トワサンガへ」富野からソシャゲー世代に向けて! - 玖足手帖-アニメブログ-

    監督=富野由悠季/脚=富野由悠季 絵コンテ=斧谷稔/演出=河村智之 キャラ作画監督=玉川真吾 メカ作画監督=中谷誠一 戦艦作監=戸部敦夫 粗筋は公式サイトにすごく詳細に書いてあるので。そちらを。 https://www.g-reco.net/story.html 成人式ですね!20年も生き延びてやっと成人になるとか、犬に比べると人間はダラダラしていますね!石器時代の寿命は25才だったらしいですがね!僕も干支を1周してしまいましたね! ところで、ガンダム Gのレコンギスタに対しては若者のファンはいるんですかね?僕みたいなオッサンのガノタしかいないんですかね?でも僕もガンダムファンの中では若手のSDガンダム、Vガンダム世代なんですが。 で、先日のブログで今回の15話に向けて色々と書いた。 nuryouguda.hatenablog.com クッソ長く書いたが、まとめると 「わかったわ。Gレコ

    Gのレコンギスタ第15話「飛べ!トワサンガへ」富野からソシャゲー世代に向けて! - 玖足手帖-アニメブログ-
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

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  • 町山智浩さんの「映画 鈴木先生」評について - 宮本大人のミヤモメモ(続)

    町山智浩さんが、『漫画アクション』連載コラムに書かれた「映画 鈴木先生」評のノーカット版が、町山さんのブログに掲載され、話題を呼んでいるようです。 http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20130219 19日に掲載されたばかりですが、ブックマークは100を超え、ツイッターでもどんどん拡散している模様。ツイッターを見ると、(「鈴木先生」が連載されてた『漫画アクション』でこれを書くことも含めて)町山さんすごい的な感想が添えられていることも多いのですが、それらのツイートのほとんどは、実際には映画を見ていない人によるもののようであることに不安を覚えます。 批評家として、自分が抱いた感想は、掲載媒体にも遠慮せず、はっきり述べるというのは、まったくもって正しく、むしろ「鈴木先生」的だと言えると思います。なので、町山さんが映画版批判を書かれているという情報を得たときは、おおさ

    町山智浩さんの「映画 鈴木先生」評について - 宮本大人のミヤモメモ(続)
  • 藤田直哉『虚構内存在』を読む前に、気楽に予習したい人のための7冊 | 本が好き!Bookニュース

    今回は、SFを中心に多様なサブカルチャー全般を対象領域として評論活動を行なっている藤田直哉さんにご登場いただきます。藤田さんは、この2013年1月下旬に、初の単著となる『虚構内存在 筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』という書籍を刊行されます。このは、日のSFを語る上での最重要人物である筒井康隆を論じながら、現代の人間にとって無視することのできない、虚構内の存在とどのように生きていくことができるのか、という問いの可能性を探るというもの。 筒井康隆も藤田さんも、どちらもユーモアを愛する人物ですが、またどちらも真面目な論考めいた文章も書く人です。今回は、著者ご自身に書籍のエッセンスを概説してもらいながら、同時に「気楽に予習として読める7冊」を選んでいただきました。 ・予習のを辿る列を飛び出して 初めまして。藤田直哉と申します。SFやその周辺のサブカルチャーについて評論を書かせていただいてい

    藤田直哉『虚構内存在』を読む前に、気楽に予習したい人のための7冊 | 本が好き!Bookニュース
  • 「スクールカースト」とか言うヤツ大体帰宅部(我々はアイドルをどのようにPart.9) - kenzee観光第二レジャービル

    司会者「一回、前回までの流れをまとめましょうか。かなりこのシリーズも読者が増えてきたみたいなんで。まず、アイドルとは日の明治以来の近代化政策の進展と不可分である、と。近代化の過程で学制が登場した。ここで子供たちははじめて農村や共同体から切り離され、子供だけの期間を与えられることとなった。ここで西洋型の音楽教育を受けたりするわけだが。だが、明治期の学制とはつまるところ富国強兵政策の一環でしかない。忠実な兵士や工場労働者を育成するための機関に過ぎなかった。だが、戦後、教育は富国強兵政策とは切り離された。国際競争力を身につけるため的なボンヤリした目的は残ったが一次産業から二次産業、そして三次産業へと産業構造が変化するなかで学生の期間はドンドン延長された。60年代まではギリギリ集団就職などで、義務教育から二次産業への就労がスムースに行われたが70年代以降、半数以上の子供が高校へ進学するようになる

    「スクールカースト」とか言うヤツ大体帰宅部(我々はアイドルをどのようにPart.9) - kenzee観光第二レジャービル
  • 柄谷の「児童の発見」は「アイドルの発見」だった(我々はアイドルをどのようにPart.8) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「最近、2冊のを読んだ」 kenzee「吉田豪のは40歳前後でサブカルの人々はになると言われるが、いかに克服したかのインタビュー集、そしてECDのは、2002年から2010年にかけてECDがいろんな雑誌とかに書いた音楽関係のコラムやエッセイ、短編小説を集めたものだ。奥付をみると2011年3月22日。まともに3.11とカブってしまい、ほとんど話題にならなかっただろう1冊。で、この2冊を続けて読んで考え込んでしまった。つまり私も38歳でサブカル方面の人なので心配になったのだ」 司会者「吉田豪のにでてくる人々も「まさか自分がになるとは、神経症とかになるとは思ってもみなかった」と言ってますね」 kenzee「で、まさにオレ自身、他人事だと思って読んでいたのだが、こんなノホホーンとしてる襲われるのがというヤツのようなのだ。最近こういうことを考える。11年前。2001年。オレ

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  • 86年以来、アイドルは未熟ではいられなくなりました(我々はアイドルをどのように消費したかPart.7) - kenzee観光第二レジャービル

    86年以来、アイドルは未熟ではいられなくなりました(我々はアイドルをどのように消費したかPart.7) kenzee「また渡辺美里に話戻るけど」 司会者「一向に時代が進みませんな」 kenzee「世間一般は、つまり大方の若者は美里を受け入れた。優れたポップミュージックであると認めたのである。では音楽ジャーナリズムはどう美里を判断していたのか。ミュージック・マガジンという老舗音楽雑誌がありますね?」 司会者「ね?ってアンタも書いたことあるだろう!」 kenzee「MMには老舗コーナー「クロス・レビュー」というのがある。要はライターさんたちが集まって新譜をツイッター並みの短文で批評し、点数をつけるというなかなかのコーナーだ。この1986年9月号になんとマドンナやスミスの新譜と並んで美里の「Lovin'You」が俎上に乗せられている。4人の評者に5点、5点、4点、7点と辛い評価を受けている。意外

    86年以来、アイドルは未熟ではいられなくなりました(我々はアイドルをどのように消費したかPart.7) - kenzee観光第二レジャービル
  • 国木田独歩の見た「風景」と尾崎豊の「焼けつくような夕陽」(我々はアイドルをどのように消費したかPart.4) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「というわけで今日のテキストは柄谷行人「日近代文学の起源」ですよ」 この「日近代文学の起源」はなにが書いてあるのかというと一言でいうと「古くからあると思われているものって意外と最近になって創られたものなのですよ」につきる。この基アイデアはのちにカルスタ、カルチュラル・スタディーズに受け継がれ、音楽関係で最近なら、輪島祐介「創られた「日の心」神話」などに脈々と受け継がれている。「演歌って日の伝統音楽みたいに、NHKとかですら平気で言うけど今の演歌って70年代以降にできたものですよ」という話だ。私もまた、同様に「J POPの歌詞といえば「当の自分ってなんだろう」とか「自分らしい生き方」とか「あなたの夢をあきらめないで、ガンバッテ」みたいなこというのが伝統的と思われているが、そんな歌詞がロック、ポップスの歌詞に登場したのはせいぜい1985年ぐらいからだ、みたいな話をしよう

    国木田独歩の見た「風景」と尾崎豊の「焼けつくような夕陽」(我々はアイドルをどのように消費したかPart.4) - kenzee観光第二レジャービル
  • 「きみ」と「ぼく」の起源1985年説(我々はアイドルをどう消費したかPart.5) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「さて、「反省」する歌は意外と売れる、しかもうまくすると熱狂的な売れ方をする、ということを尾崎を通じて音楽業界は学んだ。これが歌謡曲の歌詞の近代化のターニングポイントである。「反省」すれば売れる、と踏んだ音楽業界は主に「シェリー」の話しのもっていき方などを参考にした。「シェリー」では夢を見失いそうになった主人公が「シェリー」という恋人か友人かわからないが信頼をおく人物に自己と世界がどう関係を切り結んでいるか を問いかける。「俺は上手く歌えているか うまく笑えているか 卑屈ではないか愛される資格はあるか」と生真面目に問いかける。そして最後に「俺は歌う 愛すべきものすべてに」と決意を表明する。ここで問題にしたいのは「シェリー」における「不安定な状態にある自分」という状況設定、そこから「その状況を乗り越える決意をする」という展開。これはこの後の若者向けの歌謡曲(後にJPOPと名付けら

    「きみ」と「ぼく」の起源1985年説(我々はアイドルをどう消費したかPart.5) - kenzee観光第二レジャービル
  • 民謡の国を軍歌の国が侵略したのでござる(我々はアイドルをどのように消費したかPart.6) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「今、激売れ中の新書「AKB48白熱論争」(小林よしのり・中森明夫・宇野常寛・濱野智史著・幻冬舎新書)を読んだ。とにかくAKB48とはスゴイグループで音楽業界や芸能界どころか日社会の未来すら変える勢いだ、という一冊」 司会者「ネタのトンデモかと思ったら意外とマジメな内容でビックリ」 kenzee「ボクも基線として「あの子たち、ブサイクなのに売れてるアイドル集団ってだけでいろいろネットとかでボコられてかわいそう、AKB商法も含め、健全な興業といえるのか?」みたいなとこを落としどころにしようと思ってたんですよ。この話。でも、一冊読んだらキャツラに洗脳されてしまいまして」 司会者「キミ、意外とすぐ洗脳されるよね。矢沢の「成り上がり」レベルでも」 kenzee「ウン、三代目魚武濱田成夫とかでも洗脳されるヨ! で、こんな理論家の集団で諭されたらもしかしてAKBってスゴイのかも、と思

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  • ボクはエロ歌詞のほうが好き。軍歌キライ(我々はアイドルをどのように消費したかPart.7) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「さて、若い女性歌手の歌う歌詞が近代化したターニングポイント、1985~1986年とはどういう年だったか。音楽関係でいけばまず、秋元さんの手がけたとんねるず「一気!」のヒットで「イッキ」が流行語となった。と同時に86年には岡田有希子の飛び降り自殺という悲劇もあった。85年は日航機墜落事故もあった。ファミコンソフト、「スーパーマリオブラザーズ」の大ヒットもこの年だ。だが、もっとも重要だったのはバブル経済の引き金になったといわれるプラザ合意が行われたのがこの85年である。80年代前半のいわゆる「レーガノミックス」は高金利・ドル高政策と過剰消費によりアメリカの貿易赤字を拡大していた。そこで、85年9月、先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議、通称G5がニューヨークのプラザホテルで開催され、財務長官ベーカーはアメリカのドル高を是正するための協調介入を求めた。これがプラザ合意である。この後の日

    ボクはエロ歌詞のほうが好き。軍歌キライ(我々はアイドルをどのように消費したかPart.7) - kenzee観光第二レジャービル
  • アイドルは近代的自我の夢を見るか?(我々はアイドルをどのように消費したかPart.2) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「前回の続き。キャラクター表現と生身の人間の間でパフォーマンスする側も受容する側も最適な距離を未だ測れず、結果、アイドルを不幸に陥れているのではないか問題。キャラクター表現とは1970年代後半に新井素子の「アニメを写生するような文体」「まんが・アニメ的リアリズム」や大林宣彦「HOUSE」のメディアミックス表現によって登場した。この時からサブカルチャーは「自然主義的リアリズム」の外にあるリアリズムを模索しはじめた。同時期に音楽表現において「まんが的」キャラクターが登場し、商業的成功を収めた。誰あろうピンク・レディーだ」 司会者「(kenzeeってネタがまとまってる時はドヤ顔文体で進行するんだよなあ。前々回ぐらいまでのグダグダはなんだったんだ、ていう)」 kenzee「ていう! ていう不快! で、ピンク・レディーはイチイチ説明しなくてもキャラクター表現なのですが、便利なから引用す

    アイドルは近代的自我の夢を見るか?(我々はアイドルをどのように消費したかPart.2) - kenzee観光第二レジャービル
  • 反省する歌の時代、はじまる(我々はアイドルをどのように消費してきたかPart.3) - kenzee観光第二レジャービル

    司会者「久しぶりにアクセス数が1000を超えるなど」 kenzee「マッハッハッハ、おとうちゃんもたまにはヤルでェ。誰か有名人にツイートされたとかじゃなくやでェ。ワシ、まだまだイケてるんやでェ」 司会者「御用の方は、 kenzee74of@yahoo.co.jp  まで。ところで前回の話でわからないとこがあるとかメールもありました。まず、ロキノン批評が「近代的自我を問う」批評だった、のクダリがよくわからない、と」 kenzee「まあ、昔の60年代のレコードとかの裏ジャケにある推薦文とかがもともとの音楽評論だったんだよね。朝一郎さんみたいな人が「バカラックの楽しい、楽しい、音楽の贈りもの」みたいな。70年代に入ると学生運動以降の人が音楽評をやり始めるわけです。そうすっと、「この経験を通じてこのミュージシャンは人間的に成長した」とか「彼のファズ・ギターの歪んだ音色のなかにマイノリティの悲しみ

    反省する歌の時代、はじまる(我々はアイドルをどのように消費してきたかPart.3) - kenzee観光第二レジャービル
  • 宇野常寛と脱洗脳――小さな成熟へ向かって - A Mental Hell’s Angel

    宇野常寛は東浩紀ファンを非モテ理論武装系レイプファンタジー人間として批判した。最初からレイプしたいのにそれを倫理的に偽装しているという捻れの問題化である。東からその実在性を再批判されていたが、Twitter、ブログ、オフ会などの僕の観測範囲内では、実在すると言って良い。東クラスタは私見では非モテかメンヘラ女子ハンターが多いように思われる。ちなみにザ☆ルサンチマンハンター小野というWEB漫画があるのだが、これは宇野常寛とその周辺の言説空間への批評として優れている。http://rusahan.web.fc2.com/ 宇野常寛はルサンチマンに対して「小さな成熟」を推奨する。例えば卑近な例を挙げれば、もし当は三次元の女と付き合いたいのに自分に嘘をついてエロゲをやっているのだとすれば、「素直」にそれを口にし漸進的に努力すべきだということである。これは決断主義的トークラジオAliveにて何度も主

  • 沢尻主演作、映画としては「NO」 - ライブドアニュース

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    沢尻主演作、映画としては「NO」 - ライブドアニュース
  • 今の音楽評論は同世代の人向けに書いてます?ほとんどの音楽評論が20代以下に機能してるとは、とても思えないのです。 - 小野島 大インタビュー

    この質問は、今の音楽評論一般についての質問なんでしょうか。それとも、私個人がどうなのか問うているのでしょうか。前者なら、よくわかりません。後者であれば、特に読者の世代/年齢を意識することはありません。特定の世代に向けて書いているつもりはまったくないですし、「同世代意識」とかいうタームも興味ありません。そういう見方でしか語られない音楽家など、気の毒とすら思います。 もちろん雑誌の読者層は考慮するので、若年層が読者に多い雑誌なら、なるべく平易な言葉で、特殊な固有名詞などはなるべく使わないか、使っても注釈を入れるとか、心がけてはいます。でも子供向けに内容の程度を落とすとか、いかにも若い連中と意識が近いふりをしてみせるとか、そんなことはしません。比較的年齢層が高い雑誌で書くなら、読者の知識水準がある程度高いことを考えますが、それにしても、とくに年寄り向けの内容にするつもりもありませんし、とりわけ