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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (112)

  • 愛想笑いしか出来ない人の予後 - シロクマの屑籠

    「愛想笑いしかしない」ではなく「愛想笑いしか出来ない」 愛想笑いしか出来ない人や、お互いに傷つかないような情報量皆無のやりとりに終始する人というのは、他者に影響を与える事が難しい。彼らは確かに悪影響をもたらさないかもしれないが、魅力的な何かをプレゼントすることもない(参考:シロクマの屑籠)。「ただ無害であること」を示して排除されないよう終始するだけの彼らを、弱者として交際リストから除外するのは実にたやすい。弱っちょろくて空気そのものみたいなどうでもいい存在で、わざわざ骨を折って時間をかけて話し合いたいという魅力を探すのが困難な対象。確かに、そんな奴と長時間毛づくろいをしたって、何の刺激もありやしないし、経験値効率(?)もよろしくない。空気人間じゃない人間と交際できるんだったら、そっちに移ったほうがよっぽど色々経験できる。 しかし、親密になりたいと思う魅力が皆無な彼らなんだけど、彼らにはそれ

    愛想笑いしか出来ない人の予後 - シロクマの屑籠
  • みんな、残酷な娑婆世界で必死に生きている。だったらそれでいいと思う。 - シロクマの屑籠

    以下の文章は、id:Masao_hateさんへの私信です。 http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2006/04/post_2a86.html Masaoさんが、私の提示したコミュニケーション観に息苦しさを表明するのもよくわかります。正直、書いている私も胸がモヤモヤして、嫌になっちゃいますよね。感情すら個人の利得や優位を確立するための生得的なmachineだなんて考えたら、それこそ愛も夢もあったものじゃないです。もしも、今後コミュニケーションがいっぱい増えて、その傾向がますます「加速」するとすれば、そりゃ嫌だなぁって私だって思いますよ。 必要以上に「利害と感情の構造を操る能力」が重視される世の中は、嫌なんですよ。それになんだか凄く生き辛そうじゃないですか。お互いがお互いの「利害と感情」を常に計算に入れて付き合っていく世の中なんて。 そういった能

    みんな、残酷な娑婆世界で必死に生きている。だったらそれでいいと思う。 - シロクマの屑籠
  • 人間男性は、自分の得意なモノサシで自他を比べて優越感を希求する - シロクマの屑籠

    男性という生き物は自分と他人のどちらが格上かを判断するのが大好きな生き物である。しかし雄犬と同じだと決めつけてしまってはつまらない。大脳が大きいためか、社会的コンテキスト*1が複雑なためか、雄犬よりも人間男性のほうが序列化の手続きは複雑だし、だからこそ観察していて退屈しない。犬の序列は比較的単純な「生物としての強弱」という単一に近い評価尺度で優劣が決せられるけれど、人間の場合は面白いほど評価尺度が多様化している。 具体的には、 DQNは、腕力・ガンの飛ばし具合・セックスした女の数・やらかした悪い事・車のスピーカーから鳴らす音の大小などで人間評価を行う。DQNにとって、腕力・ガンの飛ばし具合・セックスした女の数というのは、自分自身と他人を評価するモノサシとして機能する。それらの程度をみてDQNは人間に値段をつけるし、それらの程度を高めることによって自分自身の値段が高くなると信じている。 学者

    人間男性は、自分の得意なモノサシで自他を比べて優越感を希求する - シロクマの屑籠
  • 脱オタ五カ年計画(1)開戦 - シロクマの屑籠

    脱オタ五ヵ年計画。 2000年8月に計画され、2005年8月まで展開された、私にとって最後の脱オタプロジェクト。最大規模の、そしておそらく最後の脱オタプロジェクトを24歳にもなって遂行せざるをえないほど、当時の私は行き詰まっていた。レジデントとはいえ、医術を修める身とはなったものの、(親の甘い期待とは裏腹に)私はいっこうにうだつのあがらない、見下されがちな二十代男性のままであった。ナースやその他職員、そして患者さん達と会った時、私は自分自身が蔑ろにされているという劣等感で胸がいっぱいになっていた*1。うつむき加減、しどろもどろな言葉...当時の私が対人コミュニケーションに供することの出来るリソースやノウハウは、きわめてお粗末なものに過ぎなかった。男性に対して面と向かう勇気が無かった。男性を説得する政治力も立ち回りも無かった。女性には受動的であり続け、能動的であろうとした試みは全て失敗した。

    脱オタ五カ年計画(1)開戦 - シロクマの屑籠
  • きっと将来、僕らは年寄りに恨み事を言うのだろう - シロクマの屑籠

    20年〜30年ぐらい経って流行りそうな言葉。「老害」。 その頃には、今の団塊世代が丸ごと介護の対象として若い世代に重くのしかかってくる。80歳を回ってもしっかりしていられる人というのは少ない。dementia(認知症)・身体疾患・その両方によって、福祉需要以外は何も生まない状態になる人が多くなるだろう。そしてその頃に時代を牽引する世代(1970年〜90年生世代)の金銭的・体力・精神力・時間を容赦なく奪っていく。国民健康保険がまだ維持されていたとしたら、年寄りにかかる金銭的コストはとんでもない事になっているだろう。若い世代で支えきれないほどに。まぁ、借金に次ぐ借金の果てに国民健康保険は破綻しているかもしれないけど。 加えて、団塊世代〜ちょっと前ぐらいの世代がイニシアチブをとった頃のツケについて色んな人が色んな事を言うような気がする。国や自治体の借金はいい感じで貯まっているだろうし、返済なんて

    きっと将来、僕らは年寄りに恨み事を言うのだろう - シロクマの屑籠
    TZK
    TZK 2006/03/13
  • X氏にまつわるフィクション - シロクマの屑籠

    かつて、X氏という人と出会った事があった。彼は万事に対してネガティブで、自分が何をやってもまずい事にしかならないと信じていた。事実、彼は大学受験の終盤に入って摂障害を煩い、受験に失敗、こうなったのは家族のせいだと家庭内暴力を連日繰り返し、リストカットや自殺未遂も一再ではなかった。高校中退後はずっとニートで、何をやっても自分は駄目で苦しいともがきつつも、様々な消費財は人並みに、否、人並み以上に消費し続けていた。その有様は、傍目にみてもあまり格好良いものではなかったと思う。 初めてX氏に私が出会ったのは、彼が23歳の時だった。最初は笑顔で話し始めた彼だったが、数分後には顔を歪ませて家族の不理解や自分の境遇の惨めさについて滔々と語り始めた。その語りに自傷の快楽が潜んでいる事を私は勿論気づいていたが、黙って聞いていることにした。以後も月に2〜3回程度、彼の話を聞く機会があったが、数十分に渡って「

    X氏にまつわるフィクション - シロクマの屑籠
  • ここでも非モテ達は受動態 - シロクマの屑籠

    はてなアンテナを非モテオフ会なるものに参加した時に設定したためか、ネット上で非モテなるものを自称している人達のテキストを眺めることがある。色々なやりとりがあって、例えば昨晩もhttp://kammyblog.seesaa.net/article/12657933.html←こういうやりとりがあって、ちょっと年甲斐のない事をしてしまったなぁと思っている。とはいえ、こういった若い人達による、自分とは異なる考えに触れるのはとてもよい刺激と勉強になっている。いやほんとにありがたい限りだ。 それにしても、ここ数ヶ月ばかり彼らのテキストを眺めているうちに、面白い特徴があるなぁと気付くようになった。特に昨晩はっきり再認識したのは、非モテなるものを自称する彼らのテキストのうちに 1.自分が今、受動的にどうであるかに議論が終始し、 2.自分が今、能動的に何が出来るかが欠落している という特徴がある事である。

    ここでも非モテ達は受動態 - シロクマの屑籠
  • ■ - シロクマの屑籠

    こちらのテキスト群→”Ä—p�«‚Ì�‚‚³‚ªƒRƒ~ƒ ƒjƒP�[ƒVƒ‡ƒ“‚É‹�‚ß‚ç‚ê‚鎞‘ã(‚P�E•¶‰»ƒjƒbƒ`•Ò)(”Ä“K�Š‘®)では、多文化を行き来するには、汎用性の高い、誰でも通じるコミュニケーションスキルが今後要請されやすくなる、と書いた。だけど、それは交際を推進するための必要条件ではあっても*1、交際を推進するための十分条件とはなり得ないところには気をつけたほうがよさそうに思える。 同じ文化ニッチ成員であれ違う文化ニッチ成員であれ、汎用性の高いコミュニケーションの手段(つまり非言語も含めたプリミティブなやりとり)は、コミュニケーションの齟齬を減らし、情緒的な繋がりを共有しやすく出来そうだ。この点では、確かにコミュニケーションスキルは今後ますます必要になるとは思われる。誤解を減らし、相手に嫌な思いをさせない(=マイナスの評価を避ける)為には、

    ■ - シロクマの屑籠
  • ■ - シロクマの屑籠

    人間、利のないところで差別はしない。利は、人間関係における優位かもしれないし、心理的安定かもしれないし、実益かもしれないが、とにかく何か差別することで得るところがなければわざわざ差別などしない。中立性を保つか、そもそも興味を持たないでスルーか。 利としては、例えば以下のようなものが挙げられる。 ・対象を差別することで、自分がまっとうor正当であることを証明だてる。 いじめられっ子を自分自身も差別することにより、自分はいじめられる存在ではないこと・いじめられる側の人間ではないという立場を表明することができる。差別される側が悲惨なほど、そして少数なほど、このような理由で差別に加担する&せざるを得ない局面は発生しやすい。 ・対象を差別することで、心理的問題(劣等感)を補償することが出来る。 任意の分野において自分と対象を比較し、自分の優等を認識することによって、他の分野における劣勢や過去の劣勢に

    ■ - シロクマの屑籠
  • 2006-01-03

    なんかホントに脱オタやファッション手始めに関してのテキストが最近多い。オタク界隈でこういう話が頻出なのも今だけだろうから、出来る範囲で追いかけてみようと思う。 http://d.hatena.ne.jp/ululun/20060103/1136217388 Latest topics > 心理的なホームグラウンドとアウェー - outsider reflex それで発見したこのふたつのテキスト。 前者は、オタクが*1がファッションを開始する際、気持ちがついてこないなら心理的・身体的準備を整えたうえでやってみてはどうかと提案している。脱オタする場合、一番難しいところは実は(対外的な)コミュニケーションスキルそれぞれではなく、おそらく心的傾向や思いこみをどうするかではないかと私は思っている。むしろ、ファッションなどの対外スキル以外の、“人の内側の要素”をどうするのかを解決さえすれば、あとはど

    2006-01-03
  • 2005-12-12

    人間関係の幅を広げる余地があればあるほど、新しい人とコミュニケーションをとらなければならない確率があがればあがるほど、汎用性の高いコミュニケーションスタイルなり、コミュニケーションデバイス*1が要請されるというのも自然なことだ。任意のコミュニケーションにおいて十分な疎通と満足のいく結果を得る期待値を最大化させるには、なるべく多くの他人に理解され許容され得るスタイルやデバイスや技能をプレゼントすることが要求される。それが不得手な個人は、任意のコミュニケーションにおいて成功する期待値が下がってしまうだろう。少なくとも、最低限の水準がなければ期待値が大幅に下がってしまうのは避けられない。 これが特定の個人に好かれる(一般的な男女交際も含む)とか、特定の文化集団(アニオタ、囲碁仲間、町内会とか)に好かれる為であれば、コミュニケーションスキル/スペックは汎用型よりも特化型のほうが成果をあげやすいかも

    2005-12-12
  • 2005-12-01

    http://d.hatena.ne.jp/kiya2014/19831120#p4 http://d.hatena.ne.jp/kiya2014/19850201#p41 誰か、気づいている人が必ずいるとは思っていたが。kiyaさんが指摘した脱オタに関する指摘に、私は当然のこととして同意する。 「適応向上という個人の営みが集団としてのオタク達にどういう影響を与えるのか」というマクロな視点を、私とて持ったことが無いわけではない。だが、ごく最近までは脱オタを行うオタクは非常に少なかったので、影響があったとしてもごく小さいものだと思い、私は敢えてそこら辺の考察を深めようとは思っていなかった。ところが2005年現在、脱オタや電車男という言葉はそこらじゅうに撒き散らされ、結果として脱オタという言葉や概念は一部のオタクだけのものではなくなってしまった。kiyaさんが考察したように、「脱オタの流通」に

    2005-12-01
    TZK
    TZK 2005/12/03