タグ

ブックマーク / mmpolo.hatenadiary.com (7)

  • 西堂行人『[証言]日本のアングラ』を読む  - mmpoloの日記

    西堂行人『[証言]日のアングラ』(作品社)を読む。副題が「演劇革命の旗手たち」といい、8人のアングラ演劇の中心的な関係者たちにインタビューしたもの。取り上げられているのは9人で、唐十郎、別役実、瓜生良介、佐藤信、太田省吾、蜷川幸雄、寺山修司、鈴木忠志、扇田昭彦となっている。インタビューの時期は2003年から2012年にまでわたる。寺山修司はすでに亡くなっていたので元で天井桟敷の制作を担当していた九條今日子に話を聞いている。書の発行は昨年11月だったが、すでに太田省吾、瓜生良介、九條今日子、扇田昭彦らが亡くなってしまった。 まず優れた証言集だと断言できる。インタビューアーを勤めた西堂行人の力量によるだろう。アングラ演劇を長く見てきて劇評を書いてきた人ならではの仕事だ。彼らの生前に優れた証言を引き出してくれたことを感謝したい。 みな率直に語っているのが印象的だ。別役実が、三島由紀夫の『近

    西堂行人『[証言]日本のアングラ』を読む  - mmpoloの日記
  • 桂米朝×筒井康隆『対談 笑いの世界』を読む - mmpoloの日記

    桂米朝×筒井康隆『対談 笑いの世界』(朝日新聞社)を読む。米朝が文化功労者、筒井が紫綬褒章を受賞したのを記念して、朝日新聞の2003年の正月に掲載するため行われた対談。それが二人が興に乗って何時間も話し、それでも足りなくて改めて場所を替えて再度対談を行った記録だとある。朝日新聞の担当や上司の面々が10人近くも聴講することになった。序談で筒井が書いている。 (……)何しろ聴衆がたくさんいて、何か言うたびにいちいち大笑いし、抱腹絶倒してくれる。わたしも役者だし、むろん師匠は芸人ですから、受けてくれる人がいるとついサービスしてしまい、さながら競演会のようになってしまいました。朝日の人たちは大いに笑いころげ、ついには気が違ったような状態に陥ったこともしばしばでした。 いや、こんな風に書かれたら期待しない方が難しい。だが、実はそれほど面白いわけではなかった。おそらく、生で聴くのと活字を読むのとの違い

    桂米朝×筒井康隆『対談 笑いの世界』を読む - mmpoloの日記
  • 会田誠の尾形光琳論 - mmpoloの日記

    会田誠が『ギャラリー』の巻頭インタビューで光琳について興味深いことを語っている(2015年2月号)。 −−  2月にはMOA美術館で開催される「光琳アート −光琳と現代美術−」に、旧作が3点展示されます。尾形光琳も作品の参考にしたことはあるのでしょうか。 会田  構図はあります。光琳はなんといっても構図の人ですからね。よく言われますが、実物を見ると筆に勢いがそうなかったり、何か弱点もあるのでしょうけれど、簡単な白黒コピーをとると、圧倒的な構図の良さが光ります。総合点では俵屋宗達のほうが良いけれど、構図においては宗達よりも強いのではないでしょうか。そういえば宗達は参考にしにくいかもしれません。感覚的に描く天才タイプだから。その点、光琳は計算タイプだから、努力型の凡人は参考にしやすい部分があります。 会田の美術論は参考にすべき点が多い。以前読んだ日画論もおもしろかった。日画は春草の「落葉」

    会田誠の尾形光琳論 - mmpoloの日記
    TZK
    TZK 2015/02/06
  • 河原宏『日本人の「戦争」』がとても良い - mmpoloの日記

    河原宏『日人の「戦争」』(講談社学術文庫)がとても良い。河原は1928年生まれ、終戦のときは16歳だった。戦争末期に河原が自分自身に問いかけたことは3点、それは国家とは何か、戦争とは何か、天皇とは何か、だった。3つの問いは1つにまとめることができる、それは「自分はなんの為に死ねるか」だった。その答えを見出したと思った途端に戦争は終わった。 河原は『日人の「戦争」』とは何だったのかと考え続ける。『古事記』のスサノオのエピソードを引き、大伴家持の長歌から「海行かば」を取り出し、楠木正成の説話に「七生報国」の出典を探し出す。どちらも先の戦争で叫ばれた言葉だ。信長は天下統一のためにそれまでの領地に執着する武士の土地獲得衝動を否定した。しかし旧日軍は信長以前の武士のモティべーションに復帰したと説く。日軍が執着した拠点確保主義こそ土地獲得衝動を戦術面に反映したものだと言う。 12月8日の開戦は

    河原宏『日本人の「戦争」』がとても良い - mmpoloの日記
  • 底の見えない美術不況 - mmpoloの日記

    ギャラリーアポロの秋山修さんが発行する月刊紙「APOLLOMEDIATE」の1月号が届いた。「覚悟する時」と題されて、テーマは底の見えない絵画不況だ。 (前略)あのサブプライムローンの問題から、突然に世界の様相が変わってしまった。刻一刻と不況の波が押し寄せてきて、我々美術業界も昨年(2008年)の9月以降、急速にマーケットが冷え込んできた。 ぼくの実感から言うと、9月から12月の3か月で、相場は半分以下に落ちたような気がする。簡単に言うと、100万円だったものが40万円ぐらいで、やっと取引されているという状態だ。 バブル崩壊直後は10分の1に落ち込んだ経験がある。実際当時5,500万で買っていたビュッフェの油絵を600万で叩き売った経験がある。それならバブル崩壊直後より、まだマシじゃないかと言う人が居るだろうが、これが素人の考え。実体としてはバブル崩壊直後より今はもっと悪くて、どこにも出口

    底の見えない美術不況 - mmpoloの日記
  • 伝説のゼロ次元のパフォーマンスが再現された - mmpoloの日記

    先月末、伝説のパフォーマンス集団「ゼロ次元」が30数年ぶりに出現した。多摩美術大学で、今まで白黒映画でしか見られなかった「いなばの白うさぎ」が実演されたのだ。 この「芸術とシャーマニズム」と題されたシンポジウムを主宰した小関諒子の趣意書より 私は、中沢新一教授の講義を聞いて衝撃を受けた。現代において、日が西欧グローバリズムの方向へ急速に向かった結果、日やアジア来の、シャーマニズムの思考や多神教的な世界観の重要性が忘れ去られつつあるという危機を感じたのだ。 この状況を芸術によって打開できないかと考えていた時、偶然にもゼロ次元を主宰した加藤好弘氏に出会った。ゼロ次元とは、60年代に「儀式」と称する街頭での「全裸」による奇怪なパフォーマンスによって、一大センセーションを巻き起こした集団である。その過激でナンセンスな「儀式」故に、マスコミは彼らをスキャンダルとしてしかとらえなかった。しかし、

    伝説のゼロ次元のパフォーマンスが再現された - mmpoloの日記
    TZK
    TZK 2007/10/10
  • 自費出版した本がなぜ書店に並ばないか - mmpoloの日記

    共同出版方式で自費出版したがほとんど書店に並ばなかったと出版社を訴えた著者が話題になっている。なぜ並ばないか、書店と出版社の関係があまり知られていないと思う。 まず書店に並んでいるのほとんどは書店のものではない。書店は出版社から預かっているだけだ。例外があって、岩波書店のと未来社のは書店の買い切りが原則なので書店のものだ。(だからこの2社のを置いている書店は少ない)。 書店に並んでいるはこの買い切りを除くと大きく分けて2種類がある。一つは新刊委託で新刊の発行から4か月間だけ書店が預かっているもの。その期間を過ぎると返ができない決まりで書店が買い取らなければならない。もう一つは常備寄託で、出版社とのあいだに契約を結んで、決められたを1年間だけ預かり、その間に売れた分は補充し、1年後に精算する。 さて書店の棚には限界がある。流通している書籍の種類は膨大だ。物理的に書店が並べうる

    自費出版した本がなぜ書店に並ばないか - mmpoloの日記
    TZK
    TZK 2007/07/08
  • 1