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ブックマーク / rootport.hateblo.jp (2)

  • 2015年の始めに思うこと/老人に悲観論者が多いわけ - デマこい!

    毎年、正月が来るたびに悲観論を目にする。 今年も例外ではない。2015年にいいことは1つも起こらず、悪いことばかりが起こる。ここ数年、世界はどんどん悪くなっていて、日の未来は真っ暗だ──。とくに年配の人ほど、そういう考え方になりがちのようだ。ネットで拡散されているところを見ると、一定の共感を得られる考え方なのだろう。 言うまでもなく、この考え方は間違っている。 単純に「いい」「悪い」を判別できるほど、世界のあり方と私たちの人生との関係は単純ではない。あなたが世の中を悪くなったと感じるのは、悪くなった部分しか見ていないからである。 この原則を忘れて、私たちが悲観論に染まってしまうのはなぜだろう。どうして思慮深いはずの人々が、世の中の「善し悪し」を総合的に判断できなくなってしまうのだろう。 それは私たちの心が、過去を評価するときに「ピーク・エンドの法則」に支配されているからだ。 ◆ たとえば

    2015年の始めに思うこと/老人に悲観論者が多いわけ - デマこい!
    Zarathustra1951-1967
    Zarathustra1951-1967 2015/01/03
    たしかに言われるその通りでありますが、「どんなものにも新鮮な感動を忘れない」ためには、予め期待値を低くしておく=悲観的に予測する、というのも結構有効なんではないでしょうか?
  • 日本の「えらい人」は日経新聞を捨ててSF小説を読んでください - デマこい!

    「この国には何でもある。ただ希望だけがない」と村上龍が看破したのは1998年のことだ(※1)。明治維新から太平洋戦争開戦までの時代、日は欧州の列強諸国を追いかけていた。敗戦からバブルまでの時代、日アメリカの繁栄を追従していた。日人にとって、欧米諸国は目指すべき「未来」であり「希望」だった。ところが80年代に日経済は絶頂を極め、目標地点を通り越してしまった。「希望」にすべき対象を失った。 そしてバブルが崩壊し、現在、世界でも例を見ない少子高齢化社会へと突き進んでいる。日の未来を占うような「実例」が、いまの地球上には存在しない。こうして「何でもあるが希望だけがない」という社会が完成した。日人は、自分たちの力で「未来像」を作らなければいけないのだ。 ところが今の日の「えらい人」には、それができない。 なぜ日の伝統的メーカーは「エラい人のキーワードでモノつくる構造」を早くやめられ

    日本の「えらい人」は日経新聞を捨ててSF小説を読んでください - デマこい!
    Zarathustra1951-1967
    Zarathustra1951-1967 2012/09/06
    ぼくのそうぞうしたろくじゅうねんぜんごうまれ。世代間断絶ってこういう風に生まれるのか、ってごく普通の公立中の教室で友だちと星新一、小松左京、筒井康隆らの話をして育った世代は感じました。
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