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2007年11月10日のブックマーク (2件)

  • 広告β:ネタを吸い、沈黙を吐く

    私が一番共感する反応は「沈黙」だ。つらい人の言葉を聞いて、コメントしなかった、ブックマークすらしなかったたくさんの沈黙に、私は共感する。それら沈黙の何%かは、もしかすると私と同じ、つらい人に自分の言葉を被せたくなかった故の沈黙かも知れないから。(不倒城) ちょっと違う方向から論を広げてしまうのだが、沈黙とWebとの関連が気になる。 沈黙というのは、コミュニケーションにとってとても大切な要素だと思う。 顔見知りや、仕事上の知り合いが知人や友人に格上げされるとき。 条件のひとつは、「同じ話題で盛り上がることができる」とき。 もうひとつは、「黙っていても気まずくない」とき。 沈黙が沈黙として、共有されるときだ。 沈黙には大きな意味がある。 沈黙は「それが破られるのを待つまでの無駄な時間」では必ずしもない。 Webとリアルは異なる。それが興味深い現象を生み出している。 その出発

  • 岩波書店の犯罪 - 池田信夫 blog

    沖縄の「集団自決」をめぐる訴訟に、きのう被告の大江健三郎氏が初めて出廷した。その尋問で、彼は「個人名は書かなかった」と逃げているが、こんな子供だましの論理が法廷で通ると思っているのだろうか。「慶良間諸島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男が、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいた」(『沖縄ノート』p.208)という記述に該当する人物は、渡嘉敷島守備隊長だった赤松嘉次元大尉しかいない。「ノーベル賞をもらった日人作家は精神的幼児だ」と書いたら、個人名を書かなくてもだれのことかわかるだろう。 致命的なのは、「守備隊長の個人名を挙げていないのは、集団自決が構造の強制力でもたらされたと考えたからだ。もし隊長がタテの構造の最先端で命令に反逆し、集団自決を押しとどめて悲劇を回避していたとしたら、個人名を前面に出すことが必要だった」という大江氏の弁解だ。多くの証言が示すように、赤松大尉