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ブックマーク / www.nekkyo-sengen-movie.com (10)

  • 落書き無法地帯 | 映画「熱狂宣言」公式サイト

    叶井俊太郎の映画「熱狂宣言」宣伝奮闘記!vol.8 9月は誕生日だった!まさか無職の状態で51歳を迎えるとは。。人生なにがあるかわからんよ!

    落書き無法地帯 | 映画「熱狂宣言」公式サイト
    atashi9
    atashi9 2018/11/04
    奥山さん上手い
  • 奥山和由と映画 vol.8 父子二代のDNAと日本映画の過去・現在・未来 (映画ライター:吉田薫) | 映画「熱狂宣言」公式サイト

    奥山さんと私が出会った20年前から、彼は「このままでは日映画はダメになる」と叫び続けていました。 その強い危機意識は一体どこから湧き出ているのでしょうか? 根底には父親・融氏の存在が無視できないと思います。 「時代の風雲児」とマスコミにもてはやされていた頃、辛口で知られるオネエの映画評論家が「あなたのお父様は映画界でとても大きな存在よね。乗り越えるのは大変じゃないの?」と質問した際、「親父は眼中にない」とキッパリ否定しましたが、独特の危機意識は父親譲りだと私は見ています。 融氏は大船調の生みの親である城戸四郎社長の側近中の側近で知られ、テレビメディアの台頭や趣味の多様性によって、娯楽の帝王だった映画が1960年代半ばから急速に衰退してきた現実をリアルタイムで体験した世代です。会社の存続のためにやむを得ず大量の人員を整理し、製作費をカットしてしのいできた苦渋の歴史を味わってきた融氏は息子以

    奥山和由と映画 vol.8 父子二代のDNAと日本映画の過去・現在・未来 (映画ライター:吉田薫) | 映画「熱狂宣言」公式サイト
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    atashi9 2018/09/04
  • 奥山和由と映画 vol.7 奥山イズムが追い求める映画の魅力とは? (映画ライター:吉田薫) | 映画「熱狂宣言」公式サイト

    この30年間、奥山さんの映画に対するスタンスは全くブレていません。 「映画は不良のもの」 「映画でなければできない表現をしなければ価値がない」 「日映画の作り手には健全なエネルギーが不足している」 という3つの考えです。 不良性という言葉には「光があれば影が生まれ、表があれば必ず裏がある」ことを内包しています。 『ハチ公物語』では忠犬ハチの惨めで悲惨な末路を描き、『遠き落日』では、息子の火傷は自分の不注意のせいだと己を責め続けた母親シカの苦悩を描くなど、道徳の教科書には載らない部分にスポットを当てています。 奥山作品の真骨頂は『いつかギラギラする日』『GONIN』『SCORE』といったピカレスク・ロマンにあると私は信じています。 筋金入りのワルたちがスクリーン狭しと派手にドンパチ戦う場面はアクション映画好きの評論家たちから拍手喝采を浴びました。 『いつかギラギラする日』を製作したとき、奥

    奥山和由と映画 vol.7 奥山イズムが追い求める映画の魅力とは? (映画ライター:吉田薫) | 映画「熱狂宣言」公式サイト
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    atashi9 2018/09/04
  • 奥山和由と映画 vol.6 松村厚久氏とフーテンの寅との類似性(映画ライター:吉田薫) | 映画「熱狂宣言」公式サイト

    松竹映画を語るとき、大船(蒲田)調は切り離せません。小津安二郎監督や山田洋次監督に脈々と流れる、庶民の日常を丁寧に描いたホームドラマは松竹映画のお家芸であり、奥山作品は松竹映画らしくないと評価されていましたが、私はそう思いません。 松竹が生んだ国民的人気者『男はつらいよ』の車寅次郎ことフーテンの寅は、ご存知のようにテキ屋稼業のアウトローです。 演じる渥美清さんもまた、少年時代は戦後の焼け跡の街を暗躍する不良グループのリーダーだった経歴は多くのファンによく知られている逸話です。 寅さんは堅気ではありませんが、弱い者や年端もいかない者には自分のことを差し置いて手を差し伸べる懐の深さがある一方、納得がいかないものには相手が権力者であっても「おかしいじゃねぇか!」と語気を荒げる男気に溢れていました。テキ屋仲間を大事にし、柴又に帰ればいつでも温かく迎えてくれる家族や故郷の人たちがいます。 松村厚久氏

    奥山和由と映画 vol.6 松村厚久氏とフーテンの寅との類似性(映画ライター:吉田薫) | 映画「熱狂宣言」公式サイト
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    atashi9 2018/09/04
  • 奥山和由と映画 vol.5 墓場に入っても「1.19」の記憶は消滅しない(映画ライター:吉田薫) | 映画「熱狂宣言」公式サイト

    1998年1月19日の出来事は今でも鮮明に覚えています。 ラジオから流れる午後のニュースで「松竹の奥山融社長と和由専務が解任された」と知りました。 すぐに私の担当だった事業部の江口聡さんに電話すると「すみません、ご迷惑をおかけします。自分にも詳しいことはわかりません。上の人が決めたので」としか教えてくれません。秘書の晦日さんに確認しようとしましたが、関係各所から相当数の問合せが殺到しているのは明白です。電話をかけるのは諦めました。 その日の夕刊各紙は、シネマジャパネスクを筆頭とする映画部門の不振と人事独占を要因とする奥山父子の電撃解任劇を一斉に掲載。 翌朝の日経紙面には「午前十時に役員会が始まってすぐ大谷(信義専務)さんが解任動議を読み上げ、身近な二、三の役員以外はみな賛成に回った。『えっ、なんで』という感じで映画のワンシーンを見ているようだった」「東宝さんには宮崎アニメのようにずっと蓄積

    奥山和由と映画 vol.5 墓場に入っても「1.19」の記憶は消滅しない(映画ライター:吉田薫) | 映画「熱狂宣言」公式サイト
    atashi9
    atashi9 2018/09/04
    雑な仕事抜きん出たクリエーターのせいにするの多かった時代/サリン事件目下に目の当たりにした影響ってありそう。
  • 奥山和由と映画 vol.4 はノアの方舟か? タヌキが乗った泥舟か?(映画ライター:吉田薫) | 映画「熱狂宣言」公式サイト

    組織の厚い壁を突破できない苛立ちや、識者から高い評価を得ても売上げに繋がらないジレンマに挟まれた彼は、1994年に活路を見出します。 社内に立ち上げたプライベート・ブランドを「日映画界のノアの方舟みたいなもの」と語る奥山さんには、周囲の反対が多ければ多いほど反発力が増幅され、熱量をメルトダウンまで燃やしてしまう性(さが)があります。 にかける爆発的なエネルギーは、1996年1月に公開したアクション映画『SCORE』のプログラムの中でも弾けさせていました。 「僕は企業人である前にひとりの映画人である。観客を楽しませ、感動させることに全身全霊を傾けなければ、シネマプロデューサーとしての存在意義がない。(略)ともすればマニアックな人間たちだけのオタク文化に偏りがちな現代の映画界に『絶対面白いから何があろうと作るんだ』という健康なエネルギーがあまりにも不足している。翻って周囲を見渡し、『この人に

    奥山和由と映画 vol.4 はノアの方舟か? タヌキが乗った泥舟か?(映画ライター:吉田薫) | 映画「熱狂宣言」公式サイト
    atashi9
    atashi9 2018/09/04
    歌舞伎部門にいい映画だったと思うけど
  • 奥山和由と映画 vol.3 スピード出世と裏腹に息苦しさが増してきた松竹期後半(映画ライター:吉田薫) | 映画「熱狂宣言」公式サイト

    1990年、積極的な企画制作が認められて奥山さんは35歳の若さで取締役に就任。 1991年父親の融氏が社長に昇進すると、翌92年に彼は常務にスピード出世を果たします。 この頃は松竹第一興行に異動して椅子は重役室に移り、連絡はすべて秘書の晦日裕子さんを通すようになって、次第に雲上人へと変化していきました。 少し前までは昼休みに同僚たちと談笑しながら洋屋「蜂の子」で行列する姿を見かけましたが、御簾の内側に隠れたように、その姿を目にしなくなりました。 権力を持つとそこに群がる人たちも少なくありません。 私自身も「雑誌の対談ページのホスト役に奥山和由氏を起用します」「映画業界を志す若者たちに奥山和由氏からのメッセージを掲載します」と企画書に一行プラスするだけで、いくつもの仕事を手に入れることができました。 周囲からも「奥山さんに会わせてほしい」「一度話がしたい」と数多く言われましたが、雲上人に会

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    atashi9
    atashi9 2018/09/04
    冷めてる感じはちょっと大袈裟ぽい
  • 奥山和由と映画 vol.2 昇り龍の勢いで日本映画界を席巻した松竹期前半(映画ライター:吉田薫) | 映画「熱狂宣言」公式サイト

    私が初めてその名を認識したのは松竹富士の壁に『アマデウス』と並んで貼られていた一枚のポスターでした。 売り出し中の時任三郎さんが主役の青春ハードボイルド『海燕ジョーの奇跡』にクレジットされた「製作:奥山和由」の名がなぜか心に残ったのです。 1985年に勤めていた広告会社を辞め、フリーになりたての私は松竹映画の宣伝コピーやプログラムの仕事をもらい、週に1度は築地にある古びた松竹会館へ顔を出していました。 当時、奥山さんは松竹傘下の洋画配給会社・松竹富士に在籍する新進気鋭のプロデューサーで、社内で見かけるといつも忙しそうに大声で電話をかけていました。インターネットもパソコンも普及していない時代、急ぎの連絡は固定電話かFAXに頼っていたからです。 好景気に日中が浮かれていたバブルの絶頂期。 1988年、牛若丸三郎太と名を変えた時任三郎さんがドリンク剤のCMで「24時間、戦えますか?」と高らかに

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    atashi9
    atashi9 2018/09/04
    角川春樹との違いは人の邪魔、妨害しないこと(何なのこの記事題の数字に変えてるのとか?バカじゃないの?)
  • 奥山和由と映画 vol.1 そもそもの始まり(映画ライター:吉田薫) | 映画「熱狂宣言」公式サイト

    ラブコールは2月14日の翌日、突然に…… 2月15日、大安の金曜日。正午過ぎに携帯電話が鳴り、「お久しぶりです。お元気ですか?」と奥山和由さんの声が聞こえました。 「今度、『熱狂宣言』というドキュメンタリー映画を作ったんです、松村厚久っていう人物の。 〈外産業のファンタジスタ〉と言われ、会社を東証の一部上場にのし上げるほどの成功者ですが若年性パーキンソン病に冒され、病気と闘いながら働き続ける生き様にすごく魅かれたというか……とにかく映画にしたいと思ったんですよ。オールラッシュができたので、ぜひ観てほしいんです」 受け手の都合を構わず、一方的に捲し立てる声は30年前から少しも変わりません。 そもそもの発端は、前日の2月14日に小さなチョコレートと一緒に「よかったら奥山作品のプログラムをもらっていただけませんか? こちらから郵送しますので」と送った一通の手紙でした。 還暦を過ぎ、30年以上続

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    atashi9 2018/08/28
  • 【新コラム】叶井俊太郎の映画「熱狂宣言」カード撒き奮闘記  vol.0 「アメリ」を日本でヒットさせた伝説の宣伝マン!50歳でまさかのクビ!?逆境の中、トンデモないミッションが!! | 映画「熱狂宣言」公式サイト

    【新コラム】叶井俊太郎の映画「熱狂宣言」カード撒き奮闘記  vol.0 「アメリ」を日でヒットさせた伝説の宣伝マン!50歳でまさかのクビ!?逆境の中、トンデモないミッションが!! 50歳にして解雇になってしまった! 僕が所属してる(株)レスペという映画配給会社が映画事業から縮小&撤退することになり、同時に僕は解雇になってしまった! そこであちこちの映画配給会社、宣伝会社の社長たちに会ったり電話したりして「クビになったので採用してくれ!」とお願いしてるが、どこもダメ!理由は50歳でギャラが高いし、会社の若者が嫌がるとのこと。。 ま、確かにそうかもな。 マジで今後どうしようかと煮詰まっていた時、ふと奥山和由さんのことを思い出し 「ご無沙汰です!奥山さん、ぼくを雇ってもらえませか?」 とぶしつけでメールしてみると、「明日、時間ある?」と返事が!これはもしかして何かいい話しがあるかも?と期待した

    【新コラム】叶井俊太郎の映画「熱狂宣言」カード撒き奮闘記  vol.0 「アメリ」を日本でヒットさせた伝説の宣伝マン!50歳でまさかのクビ!?逆境の中、トンデモないミッションが!! | 映画「熱狂宣言」公式サイト
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    atashi9 2018/06/15
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