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ブックマーク / kananaka.hateblo.jp (6)

  • ヌコにもマツタケ。 - kananaka's blog

    庭先でこぼれんばかりに咲き誇るキンモクセイの芳香が、秋の深まりを告げている。そういえば最近、澄み渡る秋の空を見ていない。理由は単純、頭上を木立に覆われたアカマツ林の中、筆者が足元ばかり見て歩いているせいである。 「花より団子」とはよく言ったもの、今年も山の手の我が家にキノコの季節がやってきた。盛夏を過ぎ、朝晩の最低気温が10度を下回り始めれば、山仲間たち(含・筆者)は一斉にそわそわ、「出るだろうか」「出たらしいぞ」の噂が飛び交い始める。何が「出た」かって?―――勿論、キノコの王様・マツタケである。 今年の夏は、気象庁もお墨付きの「異常気象」だった。七月の降水量こそ多かったものの、八月は連日の真夏日を記録。そして、肝心のキノコの生育に影響を及ぼす降水量は平年の三分の一程度しかなかった。近年稀に見るマツタケの凶作年となった昨年と比して、決して楽観できる状況ではない。 ところが待ちかねたシーズン

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    came8244
    came8244 2010/10/18
  • 千の夜とひとつの朝。 - kananaka's blog

    年頃の女の子が、激しく抗議している。高校生くらいだろうか。蒼ざめた細面(ほそおもて)の顔、広い額、見開かれた眼窩、乾いて尖った瞳、体のラインに沿って下ろされた華奢な腕先には強く握られた拳、細い指先の爪はその掌を痛々しく抉っていることだろう。そして彼女の全身から迸る激しい怒りは、まぎれもなく私自身にその矛先を向けていた。 「学校、行かせてよ! なんで行っちゃいけないのか、説明してよ!!」 それは、悲鳴と言ってよかった。一体誰なんだろ、この子。なんでワタシ、こんなに怒られてるんだろ。首をかしげつつ、彼女の言う「学校」がここを遠く離れた東京への大学進学のことだと、何故か私は知っていて、唇が条件反射のように勝手に言葉をつむぐ。 「ウチはおカネがないの、お父さんに聞いてみなさい」 ホームドラマのような陳腐な台詞。これが当に私の台詞なのか。けれどその自分の言葉で、ようやく気が付いた。 ―――そうか、

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    came8244 2010/07/27
  • 結ぶこころ 繋がるいのち。 - kananaka's blog

    今週のお題:○○料理が好き! かつて母が母であった頃、彼女が子供たちのために結んだおむすびは、冷えてなお、ほっこり温(ぬく)かった。行方知れずとなった父母に代って、老いた育ての母が持たせたおむすびは、ほんのり越後の海の味がした。生れて初めて自分で丸めたおむすびは、呆れるほど歪(いびつ)で握りも甘い代物だったけれど、泥団子つくりの名人を小さな料理人へ変えた瞬間となった。田美奈子と同じ病で此の世を去った恋人が、いつか元気になったとき最初にべたいと望んだのも、「おむすび」だった。定番のシャケやタラコを中に詰め、外側をしっかり海苔で包(くる)む、漆黒のおむすび*1だった。 べ終った駅弁の外側を再利用したおむすび弁当。 改札を抜けると、手作りおむすびの店舗が目に入った。大きな切出し窓の向こうで白衣の男性店員が2名、かたち良く飯を結んでゆく。職人的な繊細な指さばきが、店内の視線を集めていた。 ひ

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    came8244 2010/06/17
  • 縛られるのは好きですか? - kananaka's blog

    女に生まれついたことが悔しかった。女であることが苦しかった。男に生まれ変わりたいと願った。でも今更、男になろうとは思わない。いくらさらしを巻き、体のラインの見えない服を着ようとも、髪を刈り、武道を習い体を鍛えても、そこまでが私の限界だった。進学先の下級生(♀)に告られ、教鞭をとった女子高で数通のファンレターをもらっただけだった。今となれば、相手の気持ちなど考えもせず舞いあがっていた、当時の自分の短絡さがイタイ。持病を抱えたとき、医師に妊婦並の高さの女性ホルモン値を指摘され、気力や気概のベクトルだけでは、生れもっての肉体を凌駕できないことを悟った*1。今は、それらの葛藤を過去形で語れる程度には、自身の性を諦観したつもりだ。 マジョリティであるだけで君臨しているケモノには腹が立つ。時に、ありえない詭弁と個人的妄想を弄し、「男ってさ」「女なんだから」という枕詞を駆使しては、殊さらに被害者を貶め、

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    came8244 2009/12/12
  • 「クズどもを追い払ってください」 - kananaka's blog

    「男って言うのはな」 「女ってね」 酔ってもいないのに語り始める人がいる。何故だかこちらを諭すように。 「男はプライドが高いんだから立ててあげないと」 「女の幸せは結婚だ」 「男は不器用なんだ」 「女は恋に生きる生き物だ」 ブラウン管の中のキャスターも、当たり前のように言う 「世の男性は必見」 「女性なら誰もが」 そこに語られている「男」って「女」って、誰だ? その人がそう思うのは構わない。企業がマーケティング戦略を立てることは否定しない。けれど、それを何処にも彼処にも応用し、一般化しないで欲しい。「一般化できる」と受け手に錯覚させないで欲しい。刷り込みしないでほしい。 テレビを見ないため最近の事情は知らないが、ひと昔前は主夫あるいは男性看護士を取扱うドラマや映画にさえ、幼い子どもに向かって「男の子でしょ」と、ことばを投げる大人が登場した。それが物語のアンチテーゼやアイロニーとして使われて

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    came8244 2009/12/11
  • 続・山の手レストラン -えむの食卓- - kananaka's blog

    今週のお題:いま無性にべたいもの 霜月に入って最初の週末、私は相も変わらず山にいた。きのこ栽培農家のご主人が昨年亡くなって以来、荒れ放題・伸び放題で放置されていた跡地を好きになさってくださいとの、採集生活者にとって垂涎の依頼が舞込んだためだ。さっそくクマ鈴*1や竹籠など基装備を整え、仲間と山路を辿る。 かつてのきのこ畑は、話に聞く通り荒れ放題だった。落葉に埋もれ、だれにも採取されないまま朽ちていった、ナメコの墓場。 かろうじて溶け残っていたものを採取し(左画像参照。トロトロつややかなぬめり肌が、たまらなくセクシーでしょ?)、お礼を兼ね、一同手分けして付近を清掃する。 持ち帰った獲物は、後日、故人を偲び開かれた酒宴の席で、すみやかにナメコ汁へと姿を変えた。 ご心境如何ばかりかと案じていたが、みんなと共に熱い汁をすすってくださったご家族の笑顔が印象的だった。 帰りの山道で、他にもいくつかの

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    came8244 2009/11/12
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