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ブックマーク / totodaisuke.asablo.jp (5)

  • 日本が真の民主主義国家になるために: 生命保険 立ち上げ日誌

    政治の世界では、たった一人の議員が党を離れることが、大きなニュースとなりうる。また、議員の数が少ない政党であっても、(郵政民営化のような)重大な議案について、与党の政策運営に不釣り合いに大きな影響力を持ちうることは、私たちの記憶に新しい。 それは、政治の世界では「厳格な多数決主義」が貫かれているからである。僅かな差であっても、一票でも上回っていれば、それが多数の意見として、法案は成立する。その一票を取りに行くために、様々な政治工作や駆け引きが行われる。 これは、憲法56条2項が「両院の議事は、・・・出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる」と、多数決原則が定められていることに基づく。 このように、国会議員が投じる一票については厳格な多数決が貫かれているのに対して、その国会議員を選ぶために我々国民が投じる一票については、厳格な多数決原則どころか、数でいえば少数

    came8244
    came8244 2010/08/10
  • サッカー勝利から学ぶ日本再生: 生命保険 立ち上げ日誌

    今朝の歴史的勝利から、日経済の競争力強化について学べることがあるのではないか?日の若者たちが、十分に世界に通用するレベルであることを示してくれた。 以下、Jリーグができたくらいにまで遡って、その発展の経緯を考える。サッカー、まったく詳しくないので想像だけで問題提起してみるので、詳しい方、アイデアを膨らませてください。 まず、人材の開国がなされた。世界から選手が入ってきて(当のトッププレイヤーではないし、人数もそれほど多いわけでもないが)、日頃から世界レベルでのプレーを体感するようになった。普段から会社に、いや社会に外国人がウロウロしていたら(=移民)、幾許か国際感覚は高まりそう。 プレイヤーだけでなく、マネージャーにも外国人が招かれるようになった。ついには、日本代表にも外国人が招かれるようになった。企業もトップや幹部職に外国人を上手に招き、さらには中央官庁などのキーとなるポジションに

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    came8244 2010/06/25
  • 相談する力: 生命保険 立ち上げ日誌

    自分よりも若いスタッフと働いていると、二通りのタイプがいることに気がつく。 片方は、いいタイミングで、いい相談をしてきて、上手に僕の力を使ってくれる人。もう片方は、全然使ってくれない人。 作成途中のレポートで「煮詰まってるんですけど、アイデアください!」と知恵を借りに来る。 プロジェクトを進めている際に、社内関係者の調整をうまく進めるために、「岩瀬さんからも一言言ってもらえますか」と援軍を頼みに来る。 外部の会社と上手にプロジェクトを進めるために、ここ一番のタイミングで担ぎ出し、相手方の偉い方と事をセットされる。 いずれも、私というリソースを上手につかいこなしている事例である。 翻ってみると、自分自身も、人の力を借りるのは上手な方だと言う事に気がつく。例えば、昔から書いている途中のレポートを上司に見てもらって、まっかにして返してもらうのが好きだった。凄い早いペースで、自分の仕事が進化して

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    came8244 2010/04/16
  • 理系と文系のクロスオーバー: 生命保険 立ち上げ日誌

    昨日から、慶應大学にてプルデンシャル・ジブラルタ生命の寄付講座である「生命保険概論」が開講。教授陣が使うファカルティラウンジにて、講義をする実務家の面々と、慶応の先生方が一堂に会し、キックオフディナーが行われた。 初回は経済学部の吉野直行先生が担当され、その後も植村信保氏(保険のトップアナリスト、4月から金融庁)、米山高生先生(一橋大)、山内恒人氏(最近では「生命保険数学の基礎」を東大出版会から出されたアクチュアリー)、松山直樹先生(明治大、日アクチュアリー会ALM研究会座長を務められた)、大久保亮氏(日生命からバーゼル(BIS)に5年出向、ニューヨークにも4年勤務された、業界きっての国際通)など、「その筋」の人にはたまらないメンバー。業界人である私こそ、聞きに行きたいような顔ぶれなので、学生のみなさんには、ちょっと難しいのでは・・・と余計な心配もしてしまう。 私はというと、山内さんの

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    came8244 2010/04/09
  • 評論家になるな: 生命保険 立ち上げ日誌

    少し前、福岡で試験的に行ったテレビCMを見た人から 「メッセージが多すぎて、できが悪い」 というコメントを頂いた。 結果的にはテレビCMはうまくいって、その後も他の地域で放映を続けているのだが、このコメントを聞いたときは参考にしようと思わなかった。 これに対して、仮に 「自分は見たが、メッセージが多すぎて、印象に残らなかった」 といわれていたら、意見として聞いていたと思う。 一見するととても似たような二つのコメントだが、何が違うのか? 前者は評論家的な「分析・意見」であって、後者は一人のユーザーとしての「生の感想」である。 僕らからすると、評論家による分析は、興味がない。彼らより、僕らのほうが日々、真剣にお客様と向かい合って、試行錯誤している。 これに対して、ひとりひとりのユーザーの生の声は、とても気になる。もちろん、多様なユーザーがいるわけで、ひとりひとりの声を全部反映できるわけではない

    came8244
    came8244 2009/10/01
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