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historyとartifactsに関するconsigliereのブックマーク (79)

  • 日本で類例のない鼉⿓⽂(だりゅうもん)盾形銅鏡&日本最大の蛇行剣が出土した日本最大級の円墳・富雄丸山遺跡の現地公開に行ってきた

    2023年1月25日、奈良県奈良市丸山にある富雄丸山遺跡の埋葬施設から、鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡1枚と蛇⾏剣1が見つかりました。銅鏡は「類例のない品」、剣は鉄剣として日最大かつ蛇行剣として最古の品ということで、国宝級の発見と報じられています。その遺跡の一般公開が、1月28日・29日に行われるということだったので、どんなところなのか見に行ってきました。 富雄丸山古墳の発掘調査(第6次)現地公開の開催について - 奈良市ホームページ https://www.city.nara.lg.jp/soshiki/135/164811.html 富雄丸山古墳から日最大の蛇行剣・前例のない銅鏡が出⼟! - 奈良市ホームページ https://www.city.nara.lg.jp/site/press-release/165641.html 大阪難波駅から近鉄奈良線の快速急行に乗車しました。

    日本で類例のない鼉⿓⽂(だりゅうもん)盾形銅鏡&日本最大の蛇行剣が出土した日本最大級の円墳・富雄丸山遺跡の現地公開に行ってきた
  • 富雄丸山古墳の発掘調査 第6次調査

    wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=陸|last=村瀨|title=富雄丸山古墳の発掘調査 第6次調査|origdate=2023-01-27|date=2023-01-27|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/130515|doi=10.24484/sitereports.130515}} 閉じる

    富雄丸山古墳の発掘調査 第6次調査
  • 発掘まだ4割、謎多き古代の首都中枢「平城宮跡」(1/2ページ)

    世界遺産で特別史跡の平城宮跡(奈良市)は令和4年、国史跡に指定され、100年という節目を迎える。平城宮は1300年前の首都・平城京の中枢で、現在でいえば皇居や国会議事堂、霞が関の官庁街を集めたような所だ。実態の解明は古代律令国家のあり方を知るうえでも意義が大きいが、約60年にわたり奈良文化財研究所(同市)による継続調査が行われているが、いまだベールに包まれた部分は多い。調査の進捗(しんちょく)はどうなっているのか。(岩口利一) 約1万人が「出勤」 平城宮には、平城京に住む役人ら約1万人が出勤し、政務空間の朝堂(ちょうどう)院や役所で、仕事に従事していたとされる。 当時の官庁組織は「二官八省」と総称され、太政(だいじょう)官と神祇(じんぎ)官、中務(なかつかさ)、式部、治部(じぶ)、民部、兵部(ひょうぶ)、刑部(ぎょうぶ)、大蔵、宮内の各省が存在していた。 これまでの発掘調査では、軍事に関わ

    発掘まだ4割、謎多き古代の首都中枢「平城宮跡」(1/2ページ)
  • 保存・活用の最前線として : New門@奈良 : 企画・連載 : 奈良 : 地域

    明日香村の歴史遺産 階段状石垣(奥)の崩落後、復旧・復元整備された酒船石遺跡(明日香村で)県立万葉文化館の中庭に復元された飛鳥池遺跡。劣化が進んでいる(明日香村で) 遺跡の現地保存は文化財保護の原則だ。歴史遺産の活用が求められるなか、遺跡をどう保存し、活用すべきかが問われている。 ■崩れた遺跡 亀形石造物などが出土し、実物を現地で露出展示している明日香村の酒船石遺跡で2018年6月、台風や豪雨で地盤が緩み、階段状の石垣が幅8メートル、高さ20~50センチにわたって崩落した。 「遺構が崩れたのを見るのは初めて。これは大変だと思った」。現場を目にした村教育委員会文化財課の長谷川透・主任技師(41)は振り返る。復旧・復元工事が実施され、幸い元の姿に戻すことができた。 村内にある飛鳥時代の遺跡で、遺構を露出展示しているのは、酒船石遺跡しかない。当時の風景を実感できる迫力は、何ものにも代えがたいが、

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  • 飛鳥時代に“のろし”あげた跡か|NHK 奈良県のニュース

    高取町で7世紀後半に、のろしをあげるために使われたとみられる穴の跡が発掘調査で見つかりました。 専門家は「663年の白村江(はくそんこう)の戦いをきっかけに国内で格的に広まった『のろし』がどのような構造のものであげられていたかを探る貴重な発見だ」と話しています。 高取町教育委員会は去年7月から町の山の尾根にある佐田タカヤマ遺跡で、発掘調査を進めてきました。 その結果、複数の建物の跡に加えて、直径およそ2メートル、深さ2.7メートルほどの穴の跡などが新たに見つかりました。 穴は、底の土が焼けて変色していることや小高い場所で見つかったことから、のろしをあげるために使われたとみられるということです。 穴と建物の跡は、一緒に見つかった土器などから、7世紀後半の飛鳥時代のものとみられ、建物はのろしをあげる人の詰め所などとして使われた可能性が高いということです。 のろしは663年に、唐・新羅連合軍と

    飛鳥時代に“のろし”あげた跡か|NHK 奈良県のニュース
  • 唐代の墓葬壁画に垣間見る当時の生活 陝西省

    2基の唐代墓の一つ、康善達墓の墓室に描かれた壁画(2020年12月15日撮影)。(c)Xinhua News 【1月12日 Xinhua News】中国陝西省(Shaanxi)考古研究院は8日、同省西咸新区空港新城底張街道布里村の北で昨年12月に発見された唐代の墓2基に関する情報を公開した。2基はいずれも整った形状で出土し、年代も明確だった。墓内では保存状態の良い壁画も見つかった。 同研究院の李明(Li Ming)研究員は2基の墓について、いずれも五つの天窓を持ち、1基は単室磚券墓(せんけんぼ、アーチ構造のれんが造りの墓)、もう1基は土洞墓(どどうぼ)だと説明した。 李氏によると、単室磚券墓の壁画は、墓道東西の壁に描かれた胡人訓馬図と胡人牽駝図が最も躍動感に満ちていた。人と動物は生き生きと描かれ、筆遣いも滑らかで、特に正面の駿馬と裏側の猟犬は、唐墓の壁画でも珍しい題材だという。墓誌によると

    唐代の墓葬壁画に垣間見る当時の生活 陝西省
  • 「ウソだと思った」奇跡の大発見…4000年前の‟お宝”100万点が続々出土 【福島発】|FNNプライムオンライン

    福島県内で発掘された出土品としては、最高レベルとされる大発見があった。 全国的に注目されるそのワケとは!? 山の中では“あり得ない”人骨の発見 福島県文化振興財団 遺跡調査部・吉田秀享さん: 第一印象はウソ。ウソだっていうのが第一印象。あり得ないので 訪れた人がい入るように見つめる、約4,000年前の遺物の貴重な展示。 2020年1月に限定公開された、縄文時代の出土品だ。 貴重な縄文時代の出土品の数々 この記事の画像(10枚) 全国的に珍しいのが、赤い漆が塗られた土器。 「第一印象はウソ」…これがその正体なのか? 発見されたのは、福島・川俣町の「前田遺跡」。 福島県文化振興財団 遺跡調査部・吉田秀享さん: 普通は山の中の遺跡ではあり得ません 山の中ではあり得ない発見、それが「人骨」。 前田遺跡では、40体以上が見つかったという。 しかし、なぜこれが全国的に珍しいのか? 福島県文化振興財団

    「ウソだと思った」奇跡の大発見…4000年前の‟お宝”100万点が続々出土 【福島発】|FNNプライムオンライン
  • 「古代の官衙遺跡 Ⅱ遺構・遺跡編」 - なぶんけんブログ

    「古代の官衙遺跡 Ⅱ遺構・遺跡編」を電子公開しました。 文をPDFで閲覧いただけます。 https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/88569 目次 Ⅰ 文字関係資料 Ⅰ-1 木簡の内容と形式 Ⅰ-2 木簡の書風と書式 Ⅰ-3 木簡の製作と廃棄 Ⅰ-4 墨書土器・刻書土器 Ⅰ-5 漆紙文書 Ⅰ-6 紙・筆・墨・硯 Ⅰ-7 文字瓦 Ⅱ 古代の土器 Ⅱ-1 古代前期の土器 Ⅱ-2 古代後期の土器 Ⅱ-3 陶製の枡・油杯 Ⅲ 瓦類 Ⅲ-1 瓦葺建物の復元 Ⅲ-2 瓦の製作と分布 Ⅲ-3 瓦の観察 Ⅳ その他の遺物 Ⅳ-1 腰帯具・銭貨・印章 Ⅳ-2 武器・武具 Ⅳ-3 祭祀具 Ⅳ-4 工房関係遺物 Ⅳ-5 柱根 Ⅳ-6 建築石材 Ⅴ 宮都 Ⅴ-1 宮室 Ⅴ-2  京の成立 Ⅴ-3  大極殿・朝堂院 Ⅴ-4  三部世界観 Ⅴ-5  宮内の曹司 Ⅵ 国府 Ⅵ-1 

  • 古代中国史を書き換える4千年前のシーマオ遺跡、謎のヒスイと要塞(ナショナル ジオグラフィック日本版) - Yahoo!ニュース

  • 美術展ナビ

    空前前後の「かつてない空海展」と評判の特別展「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」が6月9日まで、奈良国立博物館で開催されています。ショップでも「かつてない」レベルのグッズが並んでいました。 いざ、開封!

    美術展ナビ
  • のろし台遺跡から唐代の古文書や木簡が大量に出土 新疆ウイグル自治区

    【7月17日 Xinhua News】中国新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)文物考古研究所は15日、同自治区バインゴリン・モンゴル自治州(Bayingolin Mongol Autonomous Prefecture)尉犁県(Weili)の克亜克庫都克烽燧(ほうすい)遺跡から唐代の貴重な古文書と木牘(もくとく、文字の書かれた木片)が出土したと発表した。 遺跡は大型砂丘の上に築かれ、烽燧(のろし台)や家屋などの建築物からなる。構造が整い、各種機能を備えた総合軍事施設だったとされる。昨年の発掘調査で砂丘の南、北、東側の斜面から当時のごみ捨て場の遺構が見つかり、多くの遺物が出土した。 同遺跡発掘隊によると、今年6月末までに出土した各種遺物は1100点余り。うち700点余りが古文書と木牘だったという。 発掘隊のリーダーを務めた同研究所の胡興軍(

    のろし台遺跡から唐代の古文書や木簡が大量に出土 新疆ウイグル自治区
  • いま長屋王家木簡を見直そう! - なぶんけんブログ

    2020年3月 このコラムのタイトルにもなっている作寶樓の主、長屋王(676?-729)に関わる長屋王家木簡35,000点の発見(1988年)から、もう30年以上が経ちました。発掘調査によって住人を特定できた稀有の事例で、それも木簡の発見があればこそでした。 長屋王家木簡は、平城遷都直後の710年から717年頃にかけてのもの。発見の直後にその倍以上の74,000点に及ぶ二条大路木簡が一連の調査で見つかり、その後平城宮東方官衙の10万点規模の発見もあったため、長屋王家木簡発見の衝撃が忘れ去られている節もありますが、その意義は高まりこそすれけっして小さくなることはありません。 長屋王家木簡と二条大路木簡の整理・解読に従事してきた私自身、よく両者を比べて考えたものです。初めに担当したのが二条大路木簡の整理で、報告書の原稿も執筆しましたので、最初は点数が多く、さまざまな役所に関わる木簡を含み、全国

  • 錨の考古学

    ここで少し趣向を変えて、「錨」(いかり)の考古学を見ていきましょう。 実は水中で古代船や近代船の「錨」が見つかる事例は結構多いのです。現在使われている錨と違い、当時の錨はロープ(縄)で船に繋がれていました。なのでロープが海底に引っかかって切れてしまったり、錨自体が海底に挟まり回収できなくなると、ロープを船上で意図的に切断して出発していました。なので当時の船は沢山のスペアの錨をあらかじめ幾つも船に積んでおり、錨というものはいわば「消耗品」でした。なので港とや湾などの係留地では海底から沢山の錨が見つかることがあるのです。水中考古学では一つの沈没船を見つけられる前に、何十もの錨が見つかることの方が普通なのです。 しかし反対に考えれば、それほど錨というものは古代から船には欠かせないものでした。全ての船が錨を持っていたといっても過言ではありません。さらに錨は石や金属で造られていることも多く、海底が砂

    錨の考古学
  • 青台遺跡の「北斗九星」、5千年以上前の天文遺構と確認 河南省鄭州市_新華網日本語

    jp.xinhuanet.com | 発表時間 2019-06-26 16:28:43 | 新華社 | 編集: 张一 河南省鄭州市の青台遺跡から出土した土器。(資料写真、鄭州=新華社配信/鄭州市文物局提供) 【新華社鄭州6月26日】中国河南省鄭州市の青台遺跡で見つかった「北斗九星」を模した遺構が5千年以上前の仰韶(ぎょうしょう)文化中期の天文遺構だったことが20日、専門家により確認された。中国の天体観測による時間計測の歴史は、これまで考えられていたよりも千年近く遡ることになる。 同市文物考古研究院と北京師範大学が鄭州市で20日に共同主催した「青台遺跡天文遺構専門家鑑定研究会」には、中国科学院の国家天文台と自然科学史研究所、中国社会科学院、故宮博物院などの天文学や天文学史、考古学の専門家30人余りが出席した。 現地調査と討議の結果、専門家は「北斗九星」の形に配置された九つの土器のかめの大きさ

  • 春秋時代「虢国」の墓地見つかる 副葬品2千点以上が出土 河南省三門峡市 | 新華社通信

    「義馬上石河村春秋墓地」の北東部発掘現場。(資料写真、鄭州=新華社配信/河南省文物考古研究院提供) 【新華社鄭州4月5日】中国河南省三門峡市の管轄下にある県級市である義馬市上石河村でこのほど、西周時代から春秋時代前期の諸侯国「虢(かく)国」の邦墓(ほうぼ、貴族や庶民の共同墓)が見つかり、副葬品2千点あまりが出土した。 「義馬上石河村春秋墓地」で発掘された馬坑(馬を副葬した穴)。(資料写真、鄭州=新華社配信/河南省文物考古研究院提供) 三門峡市文物考古研究所の鄭立超(てい・りつちょう)所長は「今回見つかった『義馬上石河村春秋墓地』の墓葬形式や器物の組み合わせ、装飾文様などは『三門峡上村嶺虢国墓地』のものと良く似ている。出土した銅鼎(どうてい)の銘文と史料の記載から見ると、上石河村の墓地は、虢国の滅亡に伴い東へ逃れた貴族とその家族、護衛に付き従った国人らの墓地だと考えられる」と述べた。 「義馬

    春秋時代「虢国」の墓地見つかる 副葬品2千点以上が出土 河南省三門峡市 | 新華社通信
  • 江戸期木簡に「南都諸白」の名 : ニュース : 奈良 : 地域 : ニュース : 読売新聞オンライン

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    江戸期木簡に「南都諸白」の名 : ニュース : 奈良 : 地域 : ニュース : 読売新聞オンライン
    consigliere
    consigliere 2019/02/19
    「室町時代以降に寺院の僧侶らによって製造された清酒「南都諸白」」
  • 伝説の名医·扁鵲は実在した! 中国医学の起源が早まる可能性も 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

    成都中医薬大学医史博物館に展示されている復刻された「老官山医簡」(撮影日不明)。(c)Xinhua News 【10月8日 Xinhua News】古代中国の伝説的な名医・扁鵲(へんじゃく)の著作はこれまで、古代医学文献の中には基的に残っていないとされてきた。だが、四川省にある成都中医薬大学の研究チームがこのほど、5年にわたる研究の末、扁鵲の存在を証明する証拠を発見した。これにより名医は「伝説」から抜け出した。 同大学の梁繁栄(りょう・はんえい)、和中浚(わ・ちゅうしゅん)、李継明(り・けいめい)、任玉蘭(にん・ぎょくらん)の各氏ら30人余りの中国医学者と古典文献学専門家の教授らから成る「老官山医簡」研究チームは、5年に及ぶ研究の末、成都市北郊の天回鎮にある前漢時代の墓「老官山漢墓群」から出土した医学に関する竹簡に記載された全ての文字を解読し、注釈を完成させた。関連研究成果は年内に出版さ

    伝説の名医·扁鵲は実在した! 中国医学の起源が早まる可能性も 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
  • 「十六むさし」と「八道行成(やさすかり)」 - なぶんけんブログ

    2018年10月 最近、我が家では子どもと一緒に「十六むさし」というゲームで遊んでいます。 十六むさしとは、四角と三角の外枠に縦横斜めの線を引いた盤面(図1)の上で、親駒と子駒を交互に動かして遊ぶ対戦ゲームです。親駒1個、子駒16個でゲームを開始し、親駒が子駒の間に入ったら子駒を捕って数を減らすことができ、逆に子駒が親駒を囲んで動けなくしたら子の勝ちです。似たようなゲームは西洋でも「キツネとガチョウ」ゲームとして知られています。 十六むさしは江戸時代に流行し、町人や子どもが遊ぶ姿が浮世絵などに描かれていますが、明治時代以降に廃れてしまい、現代ではほとんど遊ばれていません。 では、なぜ我が家で今、十六むさしで遊んでいるのか。それは、十六むさしが古代の盤上遊戯「八道行成」に由来するゲームと考えられていることに理由があります。 八道行成とは、平安時代の『和名類聚抄』に遊戯のひとつとして記載されて

  • 万籟山古墳:埴輪列が出土 ヤマト政権と交流裏付け /兵庫 | 毎日新聞

  • 平安京、新たに大型建物跡 未婚の皇女「斎王」の邸宅?:朝日新聞デジタル

    平安京で最大級の貴族邸宅とみられる平安時代前期(9世紀前半)の大型建物跡がみつかっていた京都市中京区の島津製作所三条工場内で、さらに1棟の大型建物跡が出土した。京都市埋蔵文化財研究所が23日発表した。「齋」と記された墨書土器もみつかり、専門家は、京都三大祭りの一つ、葵祭(あおいまつり)のヒロイン役のモデルとされ、古代には伊勢神宮や賀茂神社に仕えた未婚の皇女「斎王(さいおう)(斎宮(さいくう)、斎院(さいいん))」の住まいだった可能性を指摘する。 研究所によれば、現場は桓武天皇(在位781~806年)が造営した平安京の右京三条三坊五町にあたり、昨夏までの調査で東西21メートル、南北9メートルの大型建物跡を確認。その後の調査で、約12メートル北側から新たに東西14メートル、南北8・5メートルの大型建物跡が出土した。いずれも古い建物から建て替えられたとみられ、南北方向に大型建物2棟が並ぶ平安京で

    平安京、新たに大型建物跡 未婚の皇女「斎王」の邸宅?:朝日新聞デジタル
    consigliere
    consigliere 2018/03/24
    「「齋」と記された墨書土器もみつかり」