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台湾と映画に関するcustardtarteのブックマーク (2)

  • 追悼:ジミー・ウォングとの(黒い)思い出。

    ジミー・ウォングが亡くなった。おそらく出演作は4、5しか観てなくて熱心なファンにはほど遠いのだが、『片腕ドラゴン』(71)がとにかく大好きで、あの腕が飛ぶシーンは何度観てもおおおと声が出るし、火鉢(だっけ?)に腕を突っ込んで鍛える意味不明なトレーニングシーンはテンションも音楽もサイコーすぎる。唐突な終劇も実に潔い。 続編の『片腕カンフー対空とぶギロチン』(75)が『キル・ビル』(03)効果でバカ映画として知られるようになったが、いや『片腕ドラゴン』はあんな悪ふざけで冗長なバカ映画じゃないぞ!気の超ハイテンションなバカ映画だぞ!と拡声器を持って叫びたいくらい『片腕ドラゴン』が好きだ。 ジミー・ウォングといえば黒社会、というイメージもつきまとう。イメージというか、実際に黒社会とのつながりで有名な人である。 確か2004年くらいに来日して、取材する機会があったのだが、宣伝側からは前もって「ど

  • 『セデック・バレ』 - Arisanのノート

    GW中に台湾映画『セデック・バレ』を見たので、ここにも感想を書いておきたい。 http://www.u-picc.com/seediqbale/ まず何といっても感銘を受けたのは、台湾映画人たちが、山岳地帯に住む原住民(台湾の先住民族の人たちは、誇りをもってこう自称すると聞いたので、あえてこの語を用いるが)たちの歴史を正面からとりあげて、このような大作を製作したということだ。 社会のマジョリティが自己の歴史を語ろうとするのでなく、マイノリティの経験の苦難を想像することに力を注ぐ。 台湾の先住民政策は、とくに民進党政権のもとで飛躍的に進展したと聞いているが、それは「他者」の歴史と向き合うことで自分たちの社会をより開かれたものにしていこうとする、真に民主主義的な努力の現われであるのだろう。いまだに、こうした努力を行なっているというより、まったく逆方向に進みつつある日の社会とは、この点におい

    『セデック・バレ』 - Arisanのノート
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