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富野由悠季とアニメに関するcustardtarteのブックマーク (12)

  • 〈9〉シャアをつくった名台詞――到達点としての『機動戦士ガンダム』第1話|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

    富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて論の一部を連載します。 今回はシリーズ「到達点としての『機動戦士ガンダム』第1話」最終回。第1話はなぜ視聴者を夢中にさせるのか。その魅力を演出面から読み解きます。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 前回「〈8〉アムロをどう演出したか」はこちら 初期設定のシャア 脚から絵コンテで大きく変わったポイントはもうひとつある。それは、アムロたちのライバルキャラクターである、ジオン軍の将校・シャアの描写だ。推測するに、おそらくシャアのキャラクター性は、脚段階ではそこまで明確に決まっていなかったのではないだろうか。 そもそも富野が書いた「ガンボーイ企画メモ」(※1)や「初期設定書」(※2)を見ても、シャアに関する記述は少ない。7ブロックに分けて書かれたスト

    〈9〉シャアをつくった名台詞――到達点としての『機動戦士ガンダム』第1話|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま
  • 『イデオン』はエゴの死 ー 新潟国際アニメーション映画祭』で富野由悠季のインタビュー - fullfrontal.moe

    『イデオン』はエゴの死 ー 新潟国際アニメーション映画祭』で富野由悠季のインタビュー by Ludovic Joyet | Aug 2, 2024 | インタビュー | 0 comments 富野由悠季は、疑いなくアニメ史上最も有名で重要な監督の一人。『ガンダム』の生みの親であるだけでなく、ロボットアニメとSF全般に影響を与えた作品を残した、非常に多作なクリエイター。 このような伝説の人物に会う機会があったのは、第2回新潟国際アニメーション映画祭のときだった。富野監督はエネルギッシュで親切で、海外の人と自分の作品や映画への愛について喜んで語った。 聞き手: ジョワイエ・ルド、ワツキ・マテオ 協力: ワツキ・マテオ 編集協力: 前田久 Q:富野監督は物語と世界観を作るのが非常に上手だと思いますが、それなのにどうしてロボットものしか作り続けないのでしょうか? 富野: 他の仕事がなかったからです

    『イデオン』はエゴの死 ー 新潟国際アニメーション映画祭』で富野由悠季のインタビュー - fullfrontal.moe
  • ナナイ・ミゲルからシャア・アズナブルへの質問と確認と安堵と絶望 <映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』でのすれちがい宇宙>

    いきなりだが、映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の話をしよう。 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア [Blu-ray]posted with カエレバAmazon.co.jpで詳細を見る 劇中、ネオ・ジオン総帥となったシャア・アズナブルと、その部下にして恋人ナナイ・ミゲルが、シャアの私邸?で会話するシーンにこんなやりとりがある。 ナナイ「クェス、よろしいんですね?」 シャア「あれ以上の強化は、必要ないと思うが?」 ナナイ「はい。あの子はサイコフレームを使わなくとも、ファンネルをコントロールできるニュータイプです」 シャア「そうだろうな」 このすれ違い! このすれ違い会話がいつ見てもたまらない。 ナナイの質問は明らかに複数の意味を込めている。 だから、シャアの回答でも間違いではない。 間違いではないが、コミュニケーションとしては完全にすれ違っている。 はたしてナナイは何を確認したかったのか?

  • こんな時代だから、若い子たちががんばれるアニメにしたかった! 劇場版『Gのレコンギスタ』完結に向けて、富野由悠季監督の言葉を聞く【アニメ業界ウォッチング第90回】 - アキバ総研

    富野由悠季監督がテレビシリーズを劇場映画全5部作に再構成した劇場版『Gのレコンギスタ』(通称『G-レコ』)、いよいよ完結へ向けて『IV』「激闘に叫ぶ愛」、『Ⅴ』「死線を越えて」が2022年7月~8月に連続公開される。『IV』「激闘に叫ぶ愛」はクライマックスの戦闘シーンが新たに描き起こされており、かつてのどの作品でも見たことのない気迫に満ちたモビルスーツ戦に、度肝を抜かれること請け合いだ。 富野監督によると、その大迫力のバトルシーンはアニメーターの主体的な作画力によるものだという――。エンタメについて、アニメ業界について、そして最後にはとんでもない提案が監督の口から飛び出した! 怒涛の必読インタビューをお届けする。 今は、人類に絶望するしかない……だからこそ、孫の世代に残せる作品にしたかった ── 昨夜、ひさびさに『OVERMAN キングゲイナー』(2002年)を見たのですが……。 富野 な

    こんな時代だから、若い子たちががんばれるアニメにしたかった! 劇場版『Gのレコンギスタ』完結に向けて、富野由悠季監督の言葉を聞く【アニメ業界ウォッチング第90回】 - アキバ総研
  • 「宇宙開発は愚か」 ガンダム生みの親、富野由悠季さん | 毎日新聞

    人気アニメ「機動戦士ガンダム」シリーズの生みの親、アニメーション監督の富野由悠季氏(80)が、毎日新聞などのインタビューに応じた。話題は故郷の神奈川県小田原市にとどまらず、地球の環境問題や教育に及んだ。2021年に傘寿を迎えた巨匠の言葉に、今こそ耳を傾けたい。 小田原の風土が生んだストーリー ガンダムは、人類が宇宙進出する時代を描いている。宇宙に建設した植民地(スペースコロニー)が地球連邦に独立戦争を挑み、兵器としてのロボットを操るパイロットたちが巻き込まれていく物語だ。勧善懲悪ではない筋書きには、故郷の風土が全面的に反映されているという。 「(小田原は)海のものでも山のものでもない、偏りがないところにワールドワイド性があった。だから、作品の中でイデオロギーを持った人をテロ集団にできた。田舎の小さな町だが、住みやすい良いところで、箱根や熱海を背負っている。明治から大正にかけて別荘地帯でもあ

    「宇宙開発は愚か」 ガンダム生みの親、富野由悠季さん | 毎日新聞
  • 富野の大学時代

    富野の大学時代といえば、3つの注目すべきことがあります。 ひとつは虫プロ面接→入社のこと。 もうひとつはコードネーム:チョキとのこと。 そしてもうひとつは、大学時代の経歴。 一応調べてみたものの、日当時の背景や学生運動については やはりまったく知らないし、口を出すのもおこがましいので、 まとめするだけ。 さて、今ざっと手持ちな資料を目を通したが、 今まで富野が自分の大学のその経歴を言及したのは以下である。 1、『富野由悠季全仕事』 ――ところで、富野さんが日大に入られたのは、ちょうど60年安保の年ですが。 富野 これに関しては、全く僕は無縁でした。そういうことさえ知らないような無知文盲でした。僕が学部にいなかったっていうのは、1年の時には学部の自治会をやり初めて、2年目には学部での自治会長をやっていました。だから、まあ1年の間は学部にいたって言えるんですけど、2年になった時はもう、マンモ

    富野の大学時代
  • 出渕裕ロングインタビュー10 出渕裕と安彦良和と『機動戦士ガンダムORIGIN』と

    前回は「出渕裕ロングインタビュー9 出渕裕と「富野由悠季の娘」と「うわべのパブリック」と」 出渕 そういえば話が変わるんですが、安彦さんと富野さんが、決定的に(袂を別つことに)なった原因って、なんだか知ってます? ――いえ、知りません。両者の間で何があったんですか? 出渕 『クラッシャージョウ』なんですよ。『クラッシャージョウ』やってるときに、安彦さん同時に『巨神ゴーグ』(放映は制作完了後の1984年)やってましたよね。『クラッシャージョウ』のプレミア試写会みたいなのがあって、僕も行ったんですけど、なぜかね、入り口のところでお客さんをお迎えしているのが何故か富野さんなんですよ。 ――普通であれば、当然監督の安彦さんか、原作と脚の高千穂遙さんですよね、そこは。 出渕 普通はね。でも安彦さんいないんですよ。で、その最中安彦さんが何をやってたかと言うと、近くの喫茶店で『巨神ゴーグ』のシナリオの

  • 出渕裕ロングインタビュー9 出渕裕と「富野由悠季の娘」と「うわべのパブリック」と

    前回は「出渕裕ロングインタビュー8 出渕裕と「可愛い富野由悠季」と『オーラバトラー戦記』と」 ――富野談話で小説に関しては、こんなコメントが90年代初頭に残されています。 この間、角川スニーカー文庫の僕の担当が言うのよ、嬉しいのとショックなのと疲れた、っていう感情が混ざっちゃったんだけど、「うちで書いてくれるようになって、今年で10年ですね。作家って、大体当の意味で売れるのは、10年経ってからなんですよ。そういう意味では、今年あたりは良い年なんじゃないですか」って。こっちは「10年やってしまった」って感じで、もう何もないんだよね。そういう気分がかなりあった時に、「だから頑張ってください」だもん。ガックリ来た。(笑) ラポートデラックス『機動戦士ガンダム大辞典【一年戦争編】復刻版』1991年 出渕 最近は(小説を)書いてないみたいだから、いいんじゃないですかね(笑) 後は……さっきのクェス

  • 出渕裕ロングインタビュー6 出渕裕と逆襲のシャアとサザビーと

    前回は「出渕裕ロングインタビュー5 出渕裕とガンダムZZと小林誠と」 ――そういう意味では話の時系列は戻りますが、『Zガンダム』のころって、永野さんや小林さんたちの、非常にアクのつよい、個性的な線で描かれてあがってくるデザインに対して、藤田さんが絶妙なクリーンナップをすることで、世界観を維持していたという印象がありますね。 出渕 あの時のクリーンナップは、藤田君かなりの量をやってますけど、例えば誠っちゃんがやったバウンド・ドックとか、ガザCっていうのは藤田君じゃないんですよ。バウンド・ドックは大畑晃一君がクリーンナップやってるし。(大畑氏が)ぶつぶつ言ってるのを当時聞いてました。「あぁもう!こんなデザインをどうしろと!」ってボヤいてて(笑) 「だから俺はこうしました!」って(クリーンナップを)持ってくるんだけど、うーんこれはこれで、またなんか違うんじゃない?と(笑) ガザCは佐山君のメカデ

  • ガンダム監督の「敗北者宣言」【富野由悠季】

    『公研』2020年8月号 第 606 回私の生き方 富野 由悠季・アニメーション監督 父への疑念 ──「富野由悠季の世界」展が昨年6月より開催されています(現在中断中、再開は9月の予定)。 富野 今回の「富野由悠季の世界」展で「与圧服」の写真を展示しています。これの開発に父が関わっていて、家に資料が残っていました。 この機会でしかできない話を一つさせてください。父の経歴についてです。父は昔の中学を卒業したあと、東京府立化学工業学校(化工)という専門高等学校へ進んでいます。父のアルバムにあった化工の写真を見ると、3階建てのコンクリート校舎の中央に時計塔があり、石積みの外壁の正面には三つのアーチ状の飾りが施された扉がある立派な建物でした。その前に軍人たちが集まっている写真は、子供の頃は軍の部隊写真だと思っていた。ところが、父は「俺の学校なんだ」と言っていました。 僕はそのアルバム写真を子供の頃

    ガンダム監督の「敗北者宣言」【富野由悠季】
  • 1988年『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』編

    「人類を粛正してやる」という富野さんの音 今夏出版予定の書籍『押井守の映画50年50』から、1988年の1をピックアップ。押井監督が選んだ作品は、なんと、富野由悠季監督の劇場アニメ『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』!! 「ガンダムファンじゃない人もぜひ見てほしい」と語る押井監督の"トミノ愛"が炸裂します。意外な裏話も満載です。 ──そもそも押井監督は『ガンダム』が好きなのですか? 押井 最初の『機動戦士ガンダム』(79-80)と『機動戦士Zガンダム』(85-86)、『機動戦士ガンダムZZ』(86-87)までは見ていた。そのあとの作品はたまに拾い見する程度で、あんまり興味がない。天下一武道会のガンダム(『機動武闘伝Gガンダム』(94-95))とか、宝塚ガンダム(『新機動戦記ガンダムW』(95-96))とかいろいろあるけどさ。ガンダムというロボット自体にはまったく興味がない。それでも『

    1988年『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』編
  • 「アムロ父子の確執は創作ではなかった」 40周年『ガンダム』富野由悠季監督が語る戦争のリアル | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

    「燃え上がぁれ」の連呼で始まる主題歌を聴くとつい奮い立ってしまう「第一世代」は、もう50代だろう。アニメ史にその名を刻む『機動戦士ガンダム』の放映から、今年で40年。 宇宙移民による独立戦争を舞台に、人型量産兵器「モビルスーツ」同士の戦いが繰り広げられるという画期的な設定で、ロボットアニメに革新をもたらした――などという説明はファンにはもはや不要だろう。リアルな未来社会の描写と血肉の通ったキャラクター造形、政治論や環境論、さらには「人の革新」といった哲学的な要素まで詰め込まれたその世界観のほぼすべては、総監督・富野由悠季の頭脳から生み出された。 いまや古典とも言える作品だが、40周年の締めくくりとして、生みの親である富野監督に、あらためて『ガンダム』に込めた思いを聞いた。誕生史や制作秘話はすでにファンにはよく知られているし、他メディアでも紹介されている。ここでは微に入る作品解説は求めず、あ

    「アムロ父子の確執は創作ではなかった」 40周年『ガンダム』富野由悠季監督が語る戦争のリアル | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
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