タグ

2013年6月24日のブックマーク (2件)

  • Q+リポート 元慰安婦女性 戦後も消えなかった苦しみ

    維新の会、橋代表の「慰安婦制度は当時必要だった」という発言に県内でも大きな反発の声が上がっています。その背景にあるのが、多くの人が証言するように沖縄でも戦争中に多くの慰安所が作られ、女性たちが辛い生活を強いられてきたという事実です。 戦争中、朝鮮半島から沖縄に連れて来られ、戦後も故郷に帰れず孤独な生涯を送った1人の女性を紹介します。 キム・ソスプさん「とっても質素だけど、清潔なね。大変な体験したから、反作用でキレイにしたいというのがあったんだろう」 男性が振り返るのは22年前、那覇市内でひっそりと生涯を終えた女性のこと。女性はペ・ポンギさん。ペさんは1944年、朝鮮半島から渡嘉敷島に連れて行かれ、日軍の慰安婦として働かされました。「南の島に行けば、お金が儲かる」そう言われたのです。彼女の存在が知られたのは戦後30年も経ってからでした。 キムさん「サトウキビ畑の中に農具を入れる掘立小

    Q+リポート 元慰安婦女性 戦後も消えなかった苦しみ
  • 安全区の外国人にも目撃されていた虐殺・強姦・略奪・放火、「ドイツ外交官が見た南京事件」に見るその事件の様相 - 非行型愚夫の雑記

    概説書レベルの知識があれば常識的なことですが、南京事件の一端は安全区(難民区)にいた外国人にも目撃されており、それに関する各種記録も南京事件の証拠の一角を成しています。 一四日、状況は急激に悪化した。戦闘兵と、猛進撃ゆえに給養不十分の部隊が城内に放たれ、赤貧の住民と無実の民衆に、これまで誰も想像だにしえなかったむごい仕打ちを加えた。かれらは難民から米を奪い、奪えるかぎりの蓄え、毛布、洋服、時計、腕輪など要するに取りあげる価値があると思われるものをすべて略奪した。躊躇しようものなら、すぐに銃剣で斬りつけられた。大勢の人がこうした蛮行の犠牲となった。 犠牲者は何千人にも達し、暴兵が難民区や込み入った家々に闖入した。前に押し入った兵士たちが残していったものを奪うのが目的だった。いまや城内には、侵入を免れ、乱暴な家捜しや略奪を受けなかった家屋はほとんどない。施錠されたドアや長持ちは、乱暴にこじ開け

    安全区の外国人にも目撃されていた虐殺・強姦・略奪・放火、「ドイツ外交官が見た南京事件」に見るその事件の様相 - 非行型愚夫の雑記