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ブックマーク / www.qab.co.jp (2)

  • 辺野古 軟弱地盤データに誤り

    辺野古の埋め立て予定地の大浦湾に広がる軟弱地盤について話し合う技術検討会の資料に誤りがあったことがわかりました。その数はなんと20カ所、しかし、国は工事を強行する構えです。 沖縄防衛局・西村拓次長「技術的な論点等について提言・助言をいただきたいと存じます」 技術検討会では、これまで国が配布してきた資料のデータが誤っていたことがわかりました。具体的には土の強度を示す図や護岸の安定性を計算する数値、また、埋め立てに必要な土砂の量など、20カ所にも及んでいました。 これに対し、国は「工期や経費に影響はない」と説明、委員も「これまでの議論に影響はない」としています。 大浦湾に広がるおよそ66ヘクタールの軟弱地盤については「再検討の必要はない」という認識を国と委員が共有しました。 新潟大学・立石名誉教授「あなたちはデータをちゃんと技術検討会に出さずに、自分たちの進め対方向に誘導してきた。論理的におか

    辺野古 軟弱地盤データに誤り
  • Q+リポート 元慰安婦女性 戦後も消えなかった苦しみ

    維新の会、橋代表の「慰安婦制度は当時必要だった」という発言に県内でも大きな反発の声が上がっています。その背景にあるのが、多くの人が証言するように沖縄でも戦争中に多くの慰安所が作られ、女性たちが辛い生活を強いられてきたという事実です。 戦争中、朝鮮半島から沖縄に連れて来られ、戦後も故郷に帰れず孤独な生涯を送った1人の女性を紹介します。 キム・ソスプさん「とっても質素だけど、清潔なね。大変な体験したから、反作用でキレイにしたいというのがあったんだろう」 男性が振り返るのは22年前、那覇市内でひっそりと生涯を終えた女性のこと。女性はペ・ポンギさん。ペさんは1944年、朝鮮半島から渡嘉敷島に連れて行かれ、日軍の慰安婦として働かされました。「南の島に行けば、お金が儲かる」そう言われたのです。彼女の存在が知られたのは戦後30年も経ってからでした。 キムさん「サトウキビ畑の中に農具を入れる掘立小

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