佐藤栄吉(平岸出身)たちが、メレヨン島に向かった昭和19年は、太平洋での敗戦が続き、制海権を失いつつある状況でした。 大本営は、絶対国防圏を定め、その中核としてサイパン島を設定。中国大陸に展開していた陸軍を前線の島々に送り込み始めます。 そのひとつが、太平洋ミクロネシア連邦の小さな環礁メレヨン島です。 満州からの輸送の途中でも敵潜水艦の襲撃を受け、僚船を何隻も失いながら、昭和19年4月にはメレヨン島に到着します。 陸海軍合わせて6500人からなる守備隊を待ち受けていたのは、圧倒的な物量に勝る米軍による空襲と艦砲射撃でした。この襲撃で飛行場と飛行機は破壊され、持ち込んだ食料はほとんどが焼きつくされました。 米軍はこの島を攻略すること無く、物資を焼き、無力化したうえで、その先へ侵攻を続けます。制海権を握った彼らにすれば、わざわざ犠牲を出して攻略しなくても干からびて死ぬのを待てばいいという合理的
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