「① ソ連邦第1級の建築家・シュー セフの設計により、1939年に着工。②独ソ戦の苦戦で1942年に工事中断。③戦況好転で1944 年に工事再開。④1945年11月上旬に日本人捕虜が建設に参加した時には、基礎はもちろん建物本体はほとんどできていた。日本人捕虜が行った作業の中心は、左官・彫刻・寄せ木作りの床張り・大 理石の床張り・電気工事などの内外装工事の『仕上げ』であった。⑤1947年11月の「革命記念日」に完成式が挙行された。 したがってタシケント大地震で崩 壊しなかったことの最大の功労者は、ロシア人シューセフやウズベク人を核とするソ連邦の技術者・労働者である。しかし大地震でも彫刻が崩落しなかった、あ るいは電気機器が破壊されなかったという日本人捕虜の技術力は高く評価されるべきである。日本人捕虜のご労苦や従事された工事をおとしめるつもりは毛頭な い。