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2018年1月2日のブックマーク (5件)

  • お釈迦様が2500年前くらいに通った道かな?

    anond:20171230111228 こういうのに西洋人が嵌まるのは仏教がまだ浸透してないから仕方ないとして、 アジア人がまだこの理解度なのは残念です。 さて、この反出生主義の課題は、 苦痛を無批判に避けるべきものと捕らえるにとどまっている点で そもそも苦痛とは何か、なぜ存在するのかまで 考察が行き届いていない所にある 仏教によると苦痛の原因は執着にあり、 執着は人が自由意思を持っているという幻想により発生していると解く。 つまり反出生主義の問題は自由意思の問題で、人は何のインプットにも影響されず論理によって最適な行動をすると信じているから発生するのだ。要は能を全て拭い去ると人は死ぬしかないよね? 因みに仏教におけるこの手の問題点の解決策は四諦と八正道となる。興味あるかたはこちらも。

    お釈迦様が2500年前くらいに通った道かな?
  • 日本の伝説を調べたら、驚きの「縄文世界」が浮かび上がってきた(瀬川 拓郎)

    古代海民とアイヌ、ふたつの結びつき 海辺の洞窟と山頂を結ぶ他界伝説は、山形県羽黒山のほか新潟、富山、長野、神奈川、島根など各地の修験道の道場でも語られていた。他界の出口を山頂の沼とする修験者の観念は、アイヌのそれと一致する。かれらもまた縄文の世界観を伝えていたのではないか。 農耕民は、山の女神が平地の田畑と山を往還すると考えていた。この二元的な世界観は、海と山の神の往還という縄文の二元的な世界観の構造的な変容であり、海の神を失った山の女神がひとり平地へ往還する存在になったことを意味しているのではないか。山の女神に海魚を供える奇妙な習俗はその名残だろう。 弥生~古代の海民は、強い呪術性を帯びていたことが考古学的に明らかになっている。なかには呪術者の卜部として古代の王権に仕える者もいた。縄文人の形質的特徴を古墳時代までとどめた南九州の隼人もまた、呪能と芸能によって王権に奉仕した。 強い呪能で注

    日本の伝説を調べたら、驚きの「縄文世界」が浮かび上がってきた(瀬川 拓郎)
  • 日本の伝説を調べたら、驚きの「縄文世界」が浮かび上がってきた(瀬川 拓郎) | 現代新書 | 講談社(1/2)

    ある衝撃的な発見 船を住まいとした漂海民、山中に庵を結んだ箕づくり、放浪する芸人や修験者――日列島の周縁には、つい数十年前までさまざまな漂泊民が生きてきた。かれらに心惹かれるのは私だけではないだろう。「私たちの知らぬところに、私たちとは別の世界が存在」してきたという民俗学者の宮常一の言葉に、どれほど胸をときめかせたか。 かれらの漂泊性、呪能、芸能は、しばしば縄文と結びつけて語られてきた。はたしてそうなのか。縄文文化の終焉から二千年以上経つ。それは根拠の薄弱な、縄文に仮託されたロマンにすぎない。考古学の研究者である私はそう考えてきた。その私が今回、海辺、北海道、南島という列島の周縁や漂泊民のなかに縄文の思想が生き残ってきたという、『縄文の思想』(講談社現代新書)を上梓することになった。 書の核をなすのは、周縁の人びとが共有してきた縄文神話の議論だ。数年前の私なら、縄文神話という言葉を聞

    日本の伝説を調べたら、驚きの「縄文世界」が浮かび上がってきた(瀬川 拓郎) | 現代新書 | 講談社(1/2)
  • 「木々は会話し複雑な社会生活を送っている」と専門家、私たちは木々の言葉を理解できるのか?

    by Sebastian Unrau これまで多くの人が「木々は光や場所を求めて生存競争をしている」と考えてきましたが、近年の研究によって木々はハブとネットワークから構成される複雑な社会生活を持っており、互いにコミュニケーションを取り協力しあって生きていることがわかってきました。木々が使う「言葉」とはどういうもので、どうすれば人間が理解することはできるのか?を複数の科学者や専門家が説明しています。 A biologist believes that trees speak a language we can learn — Quartz https://qz.com/1116991/a-biologist-believes-that-trees-speak-a-language-we-can-learn/ 言葉を話すのは一部の限られた生き物だけであるとこれまでは考えられてきましたが、近年に

    「木々は会話し複雑な社会生活を送っている」と専門家、私たちは木々の言葉を理解できるのか?
  • 能力がない人にツライ時代

    戦後から平成、2000年代と観ていくと 徐々に一発逆転の芽が無い世の中になっていっている 昔ならば、独立して成功するという流れもあっただろうが 今は定型のビジネスを始めてうまくいくケースは稀だ 大概はどこか大手とFC契約しなければならないのでは無いだろうか 今や企業の後ろ盾なしに戦っていくのは至難の技だし、後ろ盾があっても大量の知識や能力が必要となる つまり能力の無い人にチャンスは無い ちなみに今話題にしてる「能力の無い」は、大多数のことだ。普通の人と言ってもいい エントロピーが小さいと言うのだろうか 今の時代は高度化されていて、ビジネスの勝敗が簡単に収束してしまう 戦える位置まで登れる人は能力がある極僅かだ しかも大抵は勝者が掻っ攫うことが多いので、ちょっと優秀なくらいじゃまるで歯が立たない ちなみにこれはアメリカなんかの方がキツイはず じゃあ昔はもっとカオスだったかと言うとそうではない

    能力がない人にツライ時代