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ブックマーク / www.hitachi-metals.co.jp (3)

  • 日立金属>たたらの話>金屋子神

    中国山地のたたら場では必ず金屋子(かなやご)神を祀っています。金屋子神の社は島根県安来市広瀬町西比田にありますが、金屋子神の信仰は中国地方を中心に九州、四国の一部から遠く関東、東北の一部まで広がっています。現在の祭神は金屋子神ではなく、大和の金山彦命、金山媛命になっていますが、来は金屋子神で、地元では金屋子さんとごく親しく呼んでいます。金山彦、金山媛が祀られたのは恐らく近世以降で、神社の権威を高めるためだったと思われます。 大昔、金屋子神が高天が原より播磨国志相郡に天降りして、鉄作りを教え、岩石をもって鉄鍋を造られました。これよりその地は岩鍋と言われるようになりました。現在の宍粟郡千種町の辺りです。しかし、周囲に住み賜う山がなかったので、「我は西方を主とする神なれば、西方に赴き良きところに住まん」と仰せられ、白鷺に乗って出雲国能義郡黒田の奥非田の山に着き、桂の一樹に羽を休められ、この地

  • 日立金属>たたらの話>中世のたたら

    中国山地への集中と炉の大型化 中国山地への集中と炉の大型化 中世になると鉄の生産は、主に中国地方、特に近世たたら製鉄の発達した中国山地に集中するようになります。鉄原料はほとんど砂鉄です。 11世紀から13世紀にかけて広島県大矢遺跡など見られるように炉の大型化、地下構造の発達などの画期を迎えます。長方形箱型炉の炉床は舟底形となり、炉体も長さ2m、幅1m程度と近世たたらの規模に近づいてきます。14世紀後半から15世紀に入ると、広島県の石神遺跡や島根県の下稲迫遺跡(しもいなさこいせき)のように床、小舟状遺構を持ち、近世たたらに極めて近い炉形、地下構造となります。各時代別の炉の長さ、幅寸法の変化を図に示しましたが、時代が下るにつれて大型化する傾向が分かります。 たたらの生産性の向上 室町時代後半には刀の需要が急速に増え、また市民社会の成立もあって鉄鋼需要が著しく伸びます。中国の明に年間約3700

  • 日立金属>たたらの話>玉鋼と日本刀

    玉鋼は炭素量1~1.5%の鋼で、刃物に最も適する化学組成をもっています。また、左下鉄は約0.7%の炭素量、包丁鉄は0.1~0.3%の炭素量で展延性に富んだ組成をもっています。いずれも、その他の不純物元素の含有量が極めて低く、鉄鋼材料として極めて純粋な素材と言えます。 ただし、現在の鋼と比較した場合、酸素(O)を多く含む特徴があります。そのため、鋼中に含まれる鉄滓分(非金属介在物)は酸化物系介在物が多くなります。ところが、この酸化物系介在物は、一般の鋼の介在物と比較すると非常に軟らかく、伸び易い性質があり、折り返し鍛錬によって微細に分散して無害化というよりも、かえって日刀を粘り強くしたり、微妙に綺麗な肌模様を形成したり、砥ぎ性を高める性質を付与します。 つまり、一般の鋼の非金属介在物は悪玉ですが、和鋼に多く散在する非金属介在物は、折り返し鍛錬によって地質を生きかえらす善玉の介在物なのです。

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