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小津安二郎断想(7)「戦争について語らない男の話」 - 内田樹の研究室
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小津安二郎断想(7)「戦争について語らない男の話」 - 内田樹の研究室
『秋刀魚の味』に付したもの。 小津安二郎は軍人が嫌いだった。戦争末期、参謀本部に戦意高揚映画の制作... 『秋刀魚の味』に付したもの。 小津安二郎は軍人が嫌いだった。戦争末期、参謀本部に戦意高揚映画の制作を命じられた小津はシンガポールに派遣されたが、何も撮らず、ひたすら押収したハリウッド映画を見続けたという。戦中の『父ありき』、『戸田家の兄妹』にも、小津は軍人を通行人としてさえ登場させなかった。 逆に、戦後の作品では戦争の影が不吉な鳥のように画面の隅を横切ることがある。『長屋紳士録』や『風の中の牝鶏』のように直接的な戦争を扱ったものはむしろ例外的で、平穏な生活者たちの退屈な日常に不意に戦争の影が切り込む、という描き方を小津は選んだ。 遺作となった『秋刀魚の味』は1962年の作品だから、敗戦からすでに17年が経過している。日本は復興を遂げ、男たちは仕立ての良い背広を着て、外車に乗り、銀座の割烹で夜ごと飽きることなく美酒を酌み交わし、娘の縁談話に興じている。けれども、娘を嫁に出したあとに一人残され