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“行政権力の肥大化”が“ヒトラー独裁”を生んだ――学校では学べない世界近現代史入門 | 文春オンライン
福祉国家たらんとしたヴァイマル共和国で、議会制民主主義への不信が高まっていたのはなぜか? ◆◆◆ 1933... 福祉国家たらんとしたヴァイマル共和国で、議会制民主主義への不信が高まっていたのはなぜか? ◆◆◆ 1933年1月30日、ナチスの党首アドルフ・ヒトラーが、大統領パウル・フォン・ヒンデンブルクによってドイツの首相に任命される。もっともこの時点では、まだナチスが国会で単独過半数の議席を有するには至っていなかった。ヒトラーはこの状況を打開するため、首相就任後ただちに国会を解散して総選挙に打って出る。だが、同年3月5日に行なわれた選挙でもやはり、ナチスが過半数の議席を獲得することはできなかった。 ©文藝春秋 この期待外れの選挙結果を受けてヒトラーが打った次の手が、同年3月23日のいわゆる全権委任法である。これは国会に代わって政府が法律を制定することを認めるものであり、これによって国会は事実上、立法府としての役割を奪われることになった。こうしてナチス体制のもと、近代国家の原則である立法府と行政府の権
2017/09/19 リンク