エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
山道には石垣の大群、ポツンと現れた“最小”天守、森の中に“もう一つの城跡”も…山中鹿之介が城下で謀殺された「備中松山城」の遺構をたどる | 文春オンライン
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
山道には石垣の大群、ポツンと現れた“最小”天守、森の中に“もう一つの城跡”も…山中鹿之介が城下で謀殺された「備中松山城」の遺構をたどる | 文春オンライン
尼子勝久役の渡邉蒼(左)と山中幸盛役の廣瀬友祐(大河ドラマ公式Instagramより) 故郷を追われること... 尼子勝久役の渡邉蒼(左)と山中幸盛役の廣瀬友祐(大河ドラマ公式Instagramより) 故郷を追われること約10年。流れ流れて織田軍に加わった二人は、「ついに憎き仇敵、毛利を討つ時がきた!」と、よほど意気上がっていたに違いない。だが、別所長治が離反したため、秀吉は上月城を捨て三木城へ。毛利軍の猛攻の前になすすべなく落城。尼子勝久は自害となる。 この時、鹿之介はともに自害したのかと思いきや、毛利軍に囚われてしまう。そして連行されていったのが、毛利輝元が本陣を敷いていた備中松山城だった。 全山要塞化した要害・備中松山城 備中松山城といえば、全国で十二しかない現存天守のひとつがある。高さは約11mと現存最小だが、山城では唯一で、標高430mと最も高い場所にある。もっともこれは、江戸時代中期の1683(天和3)年に完成したものだ。 つまり、戦国時代と現在とでは姿を変えていることは間違いない。だが、

