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定型者の自己イメージとASD者のありのまま願望 | アスペルガーライフblog
時折ネット上でも議論になるネタがある。 「ASD者がありのままでいたらなぜいけないの?」 「私たち... 時折ネット上でも議論になるネタがある。 「ASD者がありのままでいたらなぜいけないの?」 「私たちはありのままの自分を受け入れて欲しいだけなのに」 というものである。 実際、私もそう思っていた時期があったりする。 自然にやっているつもりなのになぜ浮いちゃうのだろう? とか思ったことも多い。 さて、結論から言ってしまう。 「ありのまま」は定型者にはギョッとされるのである。 理由は定型さんの思考構造にあるようだ。 模式化して考えよう。 定型発達者の自己は多層(複数レイヤー)構造をしている。 根っこの自己の上に、複数レイヤーが微妙につながりを保ちながら存在している上に、相対する場面によってどのレイヤーを優先して可視化するか、すなわちどのように振る舞ったらいいか?を「自動的」に選択しているというわけである。 というわけで、むき出しの自己が表現されることはあり得ないのである。 ところがどっこい、AS
2013/04/17 リンク