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『オウムは終わったのか②~小池龍之介』
前回のブログに続き、オウムの問題を考えます。今回は僧侶の小池龍之介(こいけ・りゅうのすけ)さんの意... 前回のブログに続き、オウムの問題を考えます。今回は僧侶の小池龍之介(こいけ・りゅうのすけ)さんの意見を読んでみましょう。 前回の宇野さんが「資本主義とネットの潜在力がオウムの問題を半ば自動的に解決してしまった」と発言したのに対して、小池さんは「オウムという課題は中ぶらりんのまま残されている」と言います。 ● 中ぶらりんのまま残された 地下鉄サリン事件が起きたとき、私は高校生でした。正直、オウム真理教はおかしな人たちが信じる特殊な宗教で、自分とは別の世界と見ていました。 しかし振り返ってみると、私たちの世代が抱えていたイライラした感じや、どこか「この世界なんてぶっ壊れても構わない」という感覚は、けっこう通じるところがあった。紙一重だな、と感じるようになりました。 私たちは、自分の「特別性」というものを獲得しなきゃいけない、と教えられた世代です。学校ではあなたならではの意見を述べることができる