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『1742.歴史に翻弄された不遇・不運な鉄路~池上電気鉄道新奥沢線の面影を追う(前編)』
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『1742.歴史に翻弄された不遇・不運な鉄路~池上電気鉄道新奥沢線の面影を追う(前編)』
さすらい館 俄笑うないつか来た道。老害笑うないずれ往く道。私も「老害」と言われないように気をつけな... さすらい館 俄笑うないつか来た道。老害笑うないずれ往く道。私も「老害」と言われないように気をつけなければ(^_^;) 皆様は「新奥沢線」という路線を御存知でしょうか? まだ池上線が「池上電気鉄道」の運営する路線だったころ、この池上電気鉄道が、雪が谷(現在の雪が谷大塚駅からやや石川台寄りにあったらしい)から遠く国分寺を目指し、その路線の第一期開業区間として、昭和3(1928)年に建設・開業させた路線です。 しかし、そのころ既に、東急の前身だった目黒蒲田電鉄の総帥・五島慶太は、この計画を阻止すべく大岡山-二子玉川間の新路線(現大井町線)の建設用地をいち早く確保、新奥沢線は行く手を五島に阻まれ、盲腸線として運営せざるを得なくなります。その後、昭和9(1934)年に池上電気鉄道そのものが目黒蒲田電鉄に吸収合併されてしまい、いよいよ存在意義のなくなった新奥沢線は、翌昭和10(1935)年限りで廃線と