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「プリクラ」生みの親 佐々木美穂 さん、亡くなっていた か
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「プリクラ」生みの親 佐々木美穂 さん、亡くなっていた か
いまやプリントシール機そのものの代名詞となったプリクラだが、そもそもは1995年にアトラスが発売した... いまやプリントシール機そのものの代名詞となったプリクラだが、そもそもは1995年にアトラスが発売した『プリント倶楽部』(以下「プリクラ」)の略称である。 「プリクラ」はそれまで世の中にまったく存在しなかった分野を切り開き、最盛期の1997年にはプリントシール機の市場規模は1000億円を突破した( https://jaia.jp/wp-content/uploads/2020/04/JAMMA-PRI3.pdf )。そんな「プリクラ」の生みの親が、当時アトラスの営業ウーマンであった佐々木美穂氏である。元々リクルートに勤めていた彼女は、アトラスの創業社長・原野直也氏に誘われて1987年にアトラス入り。仕事に使用していたビデオプリンターから着想を得て、「プリクラ」が誕生した。 その佐々木美穂氏が亡くなっていたという話が飛び込んできた。 江崎 稔 @esakings ATLAS女神転生初期メンバー