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日本軍による米本土空襲とその後 - オーソレ、何それ?
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日本軍による米本土空襲とその後 - オーソレ、何それ?
太平洋戦争で日本は米軍のB-29爆撃機による空襲で主だった都市はほとんど焼け野原となった。 一方、日本... 太平洋戦争で日本は米軍のB-29爆撃機による空襲で主だった都市はほとんど焼け野原となった。 一方、日本はアメリカの本土に指1本触れることができなかったか、というと必ずしもそうではなかった。もっとも指先に辛うじて触れたに過ぎなかったが。 1942年9月、日本海軍の潜水艦伊25号は米国西海岸のオレゴン州の海岸にやってきた。この潜水艦には、小型の偵察機が搭載されていた。潜水艦に飛行機を搭載するという試みは各国で行われたが成功したのは日本だけだったそうである。この潜水艦に搭載されていた零式小型水上偵察機は、最大速度250km/h、航続距離900km、後部席には7.7mm機銃を搭載し両翼の下に一基ずつ爆弾を装着できたが、その名の通り専ら偵察がその任務であったため、さほど大きな破壊力はなかった。 とにかく潜水艦から出撃した藤田信雄飛曹長操縦の零式小型水上偵察機は、ブルッキングス市郊外の山林に到達し搭載