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桜井市の茶臼山古墳とメスリ山古墳の謎とは! - 近畿地方の古墳巡り!
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桜井市の茶臼山古墳とメスリ山古墳の謎とは! - 近畿地方の古墳巡り!
歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の... 歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。 茶臼山古墳とメスリ山古墳の北に、纒向・柳本・大和と命名された古墳群が南からこの順で続いている。 これらの古墳群の中心には、盟主的な巨大前方後円墳がそれぞれ中小の前方後円墳を従えている。 例えば、纒向古墳群には全長278mの箸墓古墳がある。柳本古墳群には、全長300mほどの渋谷向山古墳(景行天皇陵)と全長約240mの行燈山古墳(崇神天皇陵)が存在する。さらに大和古墳群には、全長約220mの西殿塚古墳がある等々。 これらの巨大前方後円墳は、初期のヤマト王権を築き挙げた大王墓と考えられている。 しかし、桜井茶臼山古墳にしてもメスリ山古墳にしても、これらの古墳群とは少し距離をおいて、それぞれ単独墳として築かれている。 茶臼山古墳の竪穴式石室内は真っ赤な水銀朱で彩られ、81面分以上の銅