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「呼吸にも気を遣わなければ…」福島第一原発の“決死隊”に命じられた想像を絶する作業の実態 | 文春オンライン
2011年3月11日に起こった東日本大震災は、日本の歴史に暗く影を落とす悲惨な原子力事故を招いた。格納容... 2011年3月11日に起こった東日本大震災は、日本の歴史に暗く影を落とす悲惨な原子力事故を招いた。格納容器内の圧力が高まり続け、刻一刻とメルトダウンが進む福島第一原子力発電所。極限状況下で、当時の現場所員は何を思い、どのように仕事に臨んでいたのか。 ここでは、船橋洋一氏を中心とした調査委員会による綿密な取材で明らかになった新事実を『フクシマ戦記 上 10年後の「カウントダウン・メルトダウン」』より引用。生々しい当時の様子を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む) ◇◇◇ 8時すぎ、吉田(編集部注:東京電力福島第一原子力発電所所長)は菅直人と別れたあと、緊対室に戻った。 「9時を目標に、ベント(編集部注:放射性物質を含む気体の一部を外部に排出させて圧力を下げる緊急措置)を実施する」 吉田は、そう指示した。 ベントに必要な弁を開けるためには、放射線量上昇のため入れなくなっていた1号機の原子炉建
2021/02/25 リンク