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達川光男の伝説 “グラウンドの詐欺師”と呼ばれて… | AERA dot. (アエラドット)
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達川光男の伝説 “グラウンドの詐欺師”と呼ばれて… | AERA dot. (アエラドット)
広島監督時代の達川光男氏=1999年撮影 (c)朝日新聞社この記事の写真をすべて見る 2018年シーズンが... 広島監督時代の達川光男氏=1999年撮影 (c)朝日新聞社この記事の写真をすべて見る 2018年シーズンが開幕して1カ月以上が経ち、贔屓チームの結果をチェックするのが日課となった今日この頃だが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、80~90年代の“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「野球は騙したほうが勝ち編」だ。 * * * 「日本ハムファイターズの先発・工藤幹夫!」。1982年10月9日のプレーオフ第1戦(西武)、試合開始前にアナウンスされた名前に、誰もが「まさか……」と耳を疑った。 なぜなら、同年、リーグ最多の20勝を挙げた右のサブマリンエース・工藤は、1カ月前の9月8日に右手小指の付け根を骨折し、プレーオフ出場は絶望とみられていたからだ