エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント3件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
誰も知らない「モンペ」の謎〜なぜこれが女性の「国民服」になったのか?(井上 寿一)
誰も知らない「モンペ」の謎〜なぜこれが女性の「国民服」になったのか? 【特別公開】井上寿一=著『戦... 誰も知らない「モンペ」の謎〜なぜこれが女性の「国民服」になったのか? 【特別公開】井上寿一=著『戦前昭和の社会』2 戦時中の女性の服装といえば「モンペ」のイメージがある。しかし、モンペはその当時でもすでに古臭く、ダサかった。多様なファッションを謳歌していた日本の女性たち。なのに、なぜモンペは国民服となったのか? 女性たちのファッションの変化から、戦争が「格差」を平準化していく様を描く。 (*井上寿一『戦前昭和の社会 1926-1945』より「Ⅳ章 カリスマ待望と戦争」を4回に分けて特別公開) エプロンからモンペへ エプロン姿と洋装のあいだ モンペ姿がためらいがちに銀座に現われたのは、日中全面戦争勃発から約一年が経った1938(昭和13)年7月4日のことだった。 『東京朝日新聞』が報じている。「銀座にもんぺ隊/息づまる雨の重圧が薄らいでホッと一息ついた形の四日夜の銀座へモンペ姿の少女の一群が
2015/08/13 リンク