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誰も本気で米国と戦争するなんて思ってなかった〜「壁新聞」が伝えた開戦間際の「日米友好」(井上 寿一)
靖国神社を訪れる米アストリア号乗組員(同盟通信写真ニュース1939年4月21日号)。写真壁新聞は日中戦争... 靖国神社を訪れる米アストリア号乗組員(同盟通信写真ニュース1939年4月21日号)。写真壁新聞は日中戦争下の「日米友好」をしきりに演出していた。しかし、第二次欧州大戦の勃発以後、戦争指導者ヒトラーを肯定するものに変わっていく。 戦時中、日本人が触れていたメディアは新聞、雑誌、そしてラジオが主なものだったが、もうひとつ忘れてはいけないのが、「国策」通信社が発信していた「写真壁新聞」である。国家の意思が強くにじむこのメディアは、国内外の情勢をどのように伝えていたのか? 権力者たちが実は日米開戦のギリギリまで「米国」と「枢軸国」のあいだで揺れていた様子を読み解いていこう。 (*井上寿一『戦前昭和の社会 1926-1945』より「Ⅳ章 カリスマ待望と戦争」を4回に分けて特別公開) 写真壁新聞というメディア 『同盟通信写真ニュース』 昭和の国民は、国内外のニュースをラジオや新聞、雑誌から得ていた。大
2015/08/14 リンク