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“人の死”が時代を動かす……学生運動を過激化させた「ある事件」(池上彰×佐藤優)
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“人の死”が時代を動かす……学生運動を過激化させた「ある事件」(池上彰×佐藤優)
授業料値上げ反対運動から始まり、知的なものと結びついていた学生運動は、いつから人の死を生み出すよ... 授業料値上げ反対運動から始まり、知的なものと結びついていた学生運動は、いつから人の死を生み出すような凄惨さを帯びていったのか。 池上彰、佐藤優両氏が、過激化した左翼の失敗の歴史から「思想の力」の恐ろしさを解き明かす最新刊『激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972』から、学生運動の転換点について語った箇所を抜粋して公開します。 慶応大学から始まった学生運動 池上 安保闘争終結後の学生運動は、ブントや全学連は分裂しすっかり下火となってしまうのですが、1964年8月には北ベトナム沖のトンキン湾で、アメリカ海軍の駆逐艦が北ベトナム軍の哨戒艇に魚雷攻撃を受けたとされる「トンキン湾事件」が発生します。 これを受けて米国のリンドン・ジョンソン大統領はベトナムに戦闘部隊の派遣を命じ、ここからベトナム戦争の泥沼化が始まりました。そして日本でもこの翌年の1965年頃から、ベトナム戦争反対などの運