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沖縄戦を戦った合理主義者、八原博通はどんな戦後を送ったのか? (前田 啓介)
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沖縄戦を戦った合理主義者、八原博通はどんな戦後を送ったのか? (前田 啓介)
「内気だが頭脳明晰」そう評された参謀八原博通は、沖縄戦での組織的抵抗が終了した後に米軍に捕縛され... 「内気だが頭脳明晰」そう評された参謀八原博通は、沖縄戦での組織的抵抗が終了した後に米軍に捕縛され、捕虜として終戦を迎えます。「生きて虜囚の辱めを受けず」という教えが根強い中、終戦後に本土へと帰還した八原は後にどんな生涯を送ったのでしょうか。 関係者の証言と資料を元に、前田啓介氏が昭和を生きた参謀たちの実像に迫った『昭和の参謀』から、「第7章 八原博通―合理主義者の戦いと沈黙」を抜粋してお届けします。 本土への帰還 1945年(昭和20年)12月末、八原博通を含む収容所内の軍人たちに送還命令が出された。1946年(昭和21年)の元旦は船の上で迎えた。1月7日、船が浦賀港に到着した。そこで復員した参謀や連隊長らは第一復員省、もとの陸軍省に出頭しなければならないと言われたため、八原はそのまま市ヶ谷にある第一復員省に向かった。復員の報告を済ませた八原には会っておきたい人がいた。それは人事局員時代、