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志多羅神上洛事件 - Wikipedia
志多羅神上洛事件(したらしんじょうらくじけん、したらがみじょうらくじけん)[注釈 1]は、天慶8年(94... 志多羅神上洛事件(したらしんじょうらくじけん、したらがみじょうらくじけん)[注釈 1]は、天慶8年(945年)7月に発生した志多羅神の入京とそれに伴う騒動である[4][5]。託宣により、志多羅神と総称された神々が熱狂した群衆に囲まれながら村々を移り巡り、最終的に石清水八幡宮へ動座した。事件のまとまった記録は『本朝世紀』などに見られる[6]。日本の古代から中世への過渡期における農村の状況や庶民の信仰を伝える事件とされる。 志多羅神は志多良神、設楽神とも書かれ、当時の新興の神であった[7][8]。主に西国の民間で勢威があったとされる[9]。天慶8年7月に入京した際には、道中で村から村へと移座しており(神送り)、疫神とも考えられている[10]。 事件の経過は、『本朝世紀』が記録した摂津国国司や石清水八幡宮からの解文によって知ることができる[7]。同記によれば、天慶8年7月、既に京では東西の国から
2024/03/15 リンク