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悲しい色やね - Wikipedia
「悲しい色やね -OSAKA BAY BLUES-」(かなしいいろやね -おおさかベイブルース-)は、1982年10月21... 「悲しい色やね -OSAKA BAY BLUES-」(かなしいいろやね -おおさかベイブルース-)は、1982年10月21日にリリースされた上田正樹のシングルである。作詞は康珍化、作曲は林哲司、編曲は星勝が担当した。 背景[編集] 上田正樹は、1977年の上田正樹とサウス・トゥ・サウス解散後からソロ活動をしており、1981年にはCBS・ソニーに移籍したが、ヒット曲に恵まれずにいた[2]。彼の楽曲のディレクターを務めていた関屋薫は、複数の作曲家に作曲を依頼した。その中の一人である林哲司は、英語詞向けに作ったメロディを作成し、関屋に提出した[2]。 メロディを受け取った関屋は、林とのタッグで知られる作詞家の康珍化に作詞を依頼した[2]。その夜、康は「あの曲を関西弁の女性の視点からで書いてもよいか」と関屋に尋ねて驚かせた[2]。さらに数日後、康が提出した歌詞を読んだ林は「演歌みたいな曲が売れるわ