エントリーの編集

エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています

- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
無神論者からの教皇フランシスコへの追悼【寄稿】
2016年3月24日、教皇フランシスコがローマの難民収容所を訪問し、難民の足を洗った後、頭を下げて口を合... 2016年3月24日、教皇フランシスコがローマの難民収容所を訪問し、難民の足を洗った後、頭を下げて口を合わせている=ロイター//ハンギョレ新聞社 ローマ教皇フランシスコが世を去った。彼はこんにちのカトリック教会において、最善の姿を実践した人物だった。ならば、キリストの代理人として彼が代弁したキリストとは、どのような姿だったのか。私は、彼が人生で体現したキリストは、私が「キリスト教無神論」という概念のなかで言うキリストと深く結びついていると考える。 私はキリストを、人間の間に真の愛が存在するたびにその場にいる媒介者だとみなす。「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」(マタイ18:20)、 「愛さない者は神を知りません。神は愛だからです」(ヨハネの手紙一4:8)でみられるように、キリストは愛の主体でも客体でもなく、愛そのものだ。旧約聖書の戒めは「あなたの神を