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チンギス・ハンがロシアに遺したものと日本人 ユーラシア主義と大アジア主義の接点となった、ある本の物語 | JBpress (ジェイビープレス)
ふと眺めていたときに、モンゴル文字で「チンギス・ハン」と書かれた背表紙に目が留まり、中を見てみる... ふと眺めていたときに、モンゴル文字で「チンギス・ハン」と書かれた背表紙に目が留まり、中を見てみると日本語であった。価格は10元、当時日本円にして150円ほどであったので、買うのに勇気がいるようでもないし、珍しいと思って購入した。 当時は作者のことも全く知らなかったが、その後、この本がとんでもない本であるということが分かった。部分的にはすでに「チンギスハン崇拝は日本が作った?」でも書いたが、今回は、この本をめぐる物語をしてみたい。 以前、カルムイクという民族の波乱万丈の歴史をご紹介したと思う。 実にこの400年の間に新疆からロシア、ヨーロッパ各地を経て、アメリカ東部にまで散らばった人々であるが、その中にはロシア革命で白軍側につき、劣勢の中でヨーロッパに亡命せざるを得なかった人々がいた。 この本の作者、ハラ=ダワン(1883-1942)も、そのような経緯で、ユーゴスラビアに住み、そこで生涯を終
2012/12/14 リンク