![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f9dee647c95f03cab3ab95584cccd6db557699bf/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fjbpress.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F0%2F6%2F1200mw%2Fimg_06a01c6ac8b39d1a0bbe57728e32bcf150613.jpg)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「暗君」と誤解されたままの幕末薩摩藩の国父・島津久光の実相 幕末維新人物伝2022(4)「島津久光と幕末政治①」 | JBpress (ジェイビープレス)
(町田 明広:歴史学者) 誤解されたままの島津久光 筆者は長年にわたって、島津久光を研究対象としてい... (町田 明広:歴史学者) 誤解されたままの島津久光 筆者は長年にわたって、島津久光を研究対象としているが、久光ほど誤解されている人物はいないのではないか、と思うことが多々ある。久光には、暗君のイメージが付きまとうが、これは研究の遅れからくる大きな誤解ととらえている。倒幕を成し遂げた雄藩として、薩摩藩は高く評価されながら、幕末薩摩藩の研究は、多くの読者にとって意外かも知れないが、実は遅れているのだ。 その最大の要因は、島津家関連史料の整備・公開が遅れていたことにあるだろう。幕末薩摩藩研究の必須史料である『鹿児島県史料 忠義公史料』は1974年、『鹿児島県史料 玉里島津家史料』は1992年になって、ようやく刊行が開始された。こうした史料集がなくてはできなかった久光研究は、まだ始まったばかりである。 例を挙げると、芳即正『島津久光と明治維新』(2002年)、佐々木克『幕末政治と薩摩藩』(2004
2022/04/15 リンク