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ソビエト宇宙開発の裏面:3つの大惨事…
ソ連の宇宙開発の成功に疑問の余地はないが、すべてが順調だったわけではなく、この国は開発の大きな代... ソ連の宇宙開発の成功に疑問の余地はないが、すべてが順調だったわけではなく、この国は開発の大きな代償も払わねばならなかった。ここでその3つの大惨事を振り返る。それらは宇宙ミッションの危険性を裏付けるものでもある。 1960年代半ばには、2つの超大国――ソ連とアメリカ――の間の宇宙開発競争は、激しさを増していた。ソ連は、世界最初の人工衛星スプートニクを打ち上げ、世界初の有人宇宙飛行も成し遂げて、ライバルに先んじたが、その後は、後塵を拝するようになった。少なくとも、クレムリンはそうした印象をもっていたのである。 当時、米国は宇宙開発を強力に推し進めていたので、ソ連当局は、それに対抗し得る何らかの成果を必要とした。こうした文脈でソ連当局は、新たな宇宙船「ソユーズ」に希望をかけた。ソユーズは、ソ連の月探査計画の一環として開発された。 1967年の時点では、この新型宇宙船はまだ準備が完全にはできていな
2018/01/30 リンク