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くろしお物語:紀伊・房総/29 利根川河口 銚子湊と周辺 発展の可能性眠る港 /和歌山 | 毎日新聞
銚子(千葉県)を久しぶりに訪ねた。まず利根川の銚子漁港の第一卸売市場の岸壁に立った。銚子大橋(全... 銚子(千葉県)を久しぶりに訪ねた。まず利根川の銚子漁港の第一卸売市場の岸壁に立った。銚子大橋(全長1・5キロ)を見ると川幅は1キロを超えている感じだった。こんな大きな河口は初めてだ。利根川の改修を断行した徳川家康の東遷事業が思い浮かんだ。 1590(天正18)年、江戸に入った徳川家康はまず街づくりに乗り出した。発展する江戸の人口を賄うために、利根川の水運の整備が必要と考え、関東郡代に関東周辺の河川改修に当らせた。東京湾に入る利根川を香取海(銚子、太平洋方面)に流れを変えるためであるからダイナミックな発想である。 当時東京湾には、利根川、荒川、渡良瀬川が注がれ、鬼怒川は香取海へ至る水系にあった。94年、合の川締め切りから始まって、利根川本流と渡良瀬川がつながった。その後、古河市中田付近から赤堀川開削が大々的に行われ、利根川本流は常陸川につながり、利根川の下流の一方は江戸川を経て東京湾に至る流
2022/11/28 リンク