エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
「沖縄に核必要なかった」返還交渉当事者の証言 | 風考記 | 西田進一郎 | 毎日新聞「政治プレミア」
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「沖縄に核必要なかった」返還交渉当事者の証言 | 風考記 | 西田進一郎 | 毎日新聞「政治プレミア」
米国統治下にあった沖縄が日本に復帰して、5月15日で50年がたった。その日を前に、米側で返還交渉に携わ... 米国統治下にあった沖縄が日本に復帰して、5月15日で50年がたった。その日を前に、米側で返還交渉に携わったモートン・ハルペリン氏(83)の自宅を訪ねた。 首都ワシントンの北西にある閑静な住宅街。風通しの良い裏庭の椅子に腰掛けたハルペリン氏は、「沖縄返還に携わった原点からたずねたい」という私の言葉に、「かなり長い話になるな」と苦笑いしながら座り直した。 「核抜き・本土並み」の裏に極秘の合意 ここで簡単に沖縄返還交渉を振り返りたい。日米両政府の交渉のテーブルに載ったのは、佐藤栄作首相が1965年1月にジョンソン大統領との会談で提起してからだ。首相は国会で、核兵器について「持たず、つくらず、持ち込ませず」という非核三原則を表明。沖縄に憲法や日米安全保障条約がそのまま適用される「核抜き・本土並み」での返還を米国に求めた。 山場は、69年11月の首相とニクソン大統領の会談だった。両首脳はここで「72