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水都広島の水辺デザイン① 太田川デルタ地帯のオープンスペース | ミズベリング
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水都広島の水辺デザイン① 太田川デルタ地帯のオープンスペース | ミズベリング
広島の水都形成史 広島は太田川の河口デルタの上に成立した都市です。デルタとは三角州のことで、太田川... 広島の水都形成史 広島は太田川の河口デルタの上に成立した都市です。デルタとは三角州のことで、太田川が運搬する土砂が堆積されて生み出されました。太田川上流域の地質は花崗岩のマサ土で崩れやすく、これが土砂の供給源となっています。また、中世の太田川上流域では「鉄穴流し」(かんなながし)と呼ばれる製鉄が大変盛んでした。「鉄穴流し」は山麓の斜面を削りとった土砂を川の水でゆすいで砂鉄をより分ける手法で、「もののけ姫」にも登場する「たたら製鉄」の原料を取り出していました。「鉄穴流し」という人為的な地形改変により河口域における土砂の堆積はさらに進み、デルタは、1500 年代後半には、平和大通り付近まで形成されていました。 デルタ上に初めて都市を築いたのは戦国武将の毛利輝元です。天正 17 年(1589 年)にデルタ最上部の広い島に築城し、城下町は「広島」と呼ばれるようになりました。低湿地で軟弱な地盤に築城