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【戦国こぼれ話】午後から「麒麟がくる」総集編が放映。明智光秀は良い人だったのだろうか(渡邊大門) - エキスパート - Yahoo!ニュース
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【戦国こぼれ話】午後から「麒麟がくる」総集編が放映。明智光秀は良い人だったのだろうか(渡邊大門) - エキスパート - Yahoo!ニュース
明智光秀一族の墓がある西教寺(滋賀県大津市)。光秀は良い人だったのだろうか?(写真:ogurisu/イメー... 明智光秀一族の墓がある西教寺(滋賀県大津市)。光秀は良い人だったのだろうか?(写真:ogurisu/イメージマート) 今日の午後から「麒麟がくる」総集編が放映される。これに関連して今朝、記事を一つアップしたが(こちら)、もう一つだけ言わせてほしいと思い、急遽執筆した。テーマは、「光秀は良い人だったのか」。 ■明智藪の真偽 明智光秀は領民思いだったと言われており、洪水に悩む領民のために明智藪を築いたという。明智藪は長さが約500mで、京都府福知山市を流れる由良川に築かれた。かつては、「蛇ヶ端(じゃがはな)御藪」と称されたが、のちに光秀の遺徳を偲んで明智藪と呼ぶようになった。民が光秀を慕っていた証にもなろう。 しかし、明智藪に関しては、いくつもの疑義がある。明智藪のことを記した史料は、寛政6年(1794)に完成した『丹波志』(著者は福知山藩士の古川茂正と篠山藩士の永戸貞)である。光秀の没後、約